らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「杜子春伝」続玄怪録より 李復言

 

 
 

前回、芥川龍之介杜子春」の記事を書きましたが、
この芥川の作品には、原典となる作品があります。
唐の時代の李復言という人が書いた「続玄怪録」という伝奇小説がありまして、
その中に、杜子春伝という一編があるのです。


李復言「続玄怪録」 杜子春

それを読みますと、芥川龍之介が、原典をどのようにアレンジしたのかということがよくわかりますし、
日本と中国の文化の違い、また原典もなかなかツッコミどころがあり面白く、
今回取り上げてみました。

物語は、最初、芥川版とほぼ同じです。
杜子春が両親の財産を放蕩し、無一文となったところを道士(芥川では仙人)に声をかけられます。
1回、2回と財宝を与えられ、全て使い尽くしてしまうところも同じです。

しかし、3回目の描写が異なります。
芥川版ですと、もう財宝は要らないから、一緒に連れていって仙人にしてくれと申し出るのですが、
原典では、次のようになっています。

無一文の自分を顧みる者もないのに、あなたはここまで面倒みてくれた。
ついては、今回いただいた財宝で、この世の中での後始末をきちんとしてから、
その後、あなた様についていき、どんなことでもいたします。
そう言って杜子春は、農地と家を100軒ほど買い、一族を呼び寄せ、
寡婦の生活が困らないようにし、孤児の甥や姪を結婚させ独り立ちさせ、
一族の墓をきちんと合葬し、恩人には恩返しをし、
俗世で為すべき後始末をすべて終わらせ、
約束の時日に、道士と待ち合わせ、二人でいずこかに出かけて行った。 
 

杜子春 完

でもいいと思うのですが(笑)
これほど自分の身辺整理をきちんとして、この世の貸し借りを全て精算するなんて、
本当に見上げたものです。
人間としてすでに完成されています。
 

しかし、杜子春は仙人になりたかったんでしょうね。
それから、杜子春の仙人になる修行が始まります。

そこでの課題が、一言も言葉を発してはならないということ、
それを杜子春がぎりぎりまで頑張るところも同じです。

しかし、最後に、杜子春の前に引き出されてきたのは、
芥川版では両親ですが、オリジナルでは妻です。

オリジナルの鬼の責め苦は、芥川版の鬼の比ではない苛酷なものです。
妻を血の出るほど鞭打つ、射る、切る、煮る、焼く、とても堪えられないほど苦しみ。
妻は泣き叫んで、杜子春に助けてくれるよう懇願します。
鬼の拷問は熾烈を極め、妻の体を一寸ごとに切り刻んでいきます。

しかし、杜子春は、ここで一言も発することなく課題を見事クリアします。

杜子春(笑)
この時点で、女性読者の支持をほぼ失ったといっても過言ではないでしょう。

では、その後どうなるかと言いますと、
女性に生まれ変わった杜子春は、
自分が産んだ我が子が夫に激しくいたぶられているのを見て、
思わず一言叫んでしまうというストーリーで、
すると、いつの間にか、その世界は消えて、
最初の山の景色に戻っていたというところで、
芥川版とオリジナルはまた繋がります。

しかしながら、物語のラストが少々違います。

オリジナルで道士は言います。
お前は喜び・怒り・悲しみ・おそれ・憎しみ・欲望を忘れることができたが、
愛だけは忘れることができなかった(妻を除く)。
お前が声を洩らさなかったならば、仙人になれたものを。
ああ、仙人の才能は得がたい。
 

オリジナルで、道士は、杜子春を本当に仙人にするつもりでした。
芥川版のように、声を出さぬなら、殺すつもりだったというようなことは言いません。
仙人というのは、俗世の感情から解き放たれた存在を言いますから、
オリジナルの方がやはり本来の仙人に近いような気がします。
芥川版の仙人は、ある意味、情が深くて仙人らしい性格とは言えません。

そして、最後に、道士は、しっかりやんなさいと、
杜子春に一声かけて里に帰らせますが、
芥川版のように情の深い仙人ではありませんから、
家はくれませんでした(笑)

杜子春は言われた通り、一旦里に下りかけましたが、
誓いを破ったことが残念で、また戻ってみましたが、
そこには人が居た形跡もなく、嘆き悔やみながら帰るほかなかった。
というところでオリジナルの話は終わります。


いかがだったでしょうか。
二つを見比べると、その違いが明らかになり、
なかなか面白く興味深く感じます。

オリジナルは摩訶不思議な神仙譚の域を出ませんが、
芥川はそのストーリーに沿いつつも、
人として大事なものは何か、人として生きるとはどうことかというテーマを
掘り下げて書き綴っており、より深みを増しているように思います。
ある意味、仙人の情が深いのも、そのテーマに沿っているからこそではないかと感じます。
 

しかし、芥川版は、どうして地獄の鬼に責められているのを妻から母に変えたのでしょうか。
最後、妻の名を叫んでしまっても、充分話として成り立つはずです。
ちょっと芥川さんに聞いてみたいところではあります。