らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「春の朝」金子みすゞ










春の朝


すずめがなくな、
いいひよりだな、
うっとり、うっとり
ねむいな。
上のまぶたはあこうか、
下のまぶたはまァだよ、
うっとり、うっとり
ねむいな。



春眠暁を覚えずと昔の中国の詩人は詩に詠みましたが、
金子みすゞのこの作品は、
それを優しく柔らかく描いたものといったところでしょうか。

春のぬくみと眠気のまどろみを感じさせる、
詩の中の空気感が本当に素晴らしい。

彼女の詩は、まるで幼い子どもが囁(ささや)いているような、
あどけなさとたわいなさを感じさせますが、
自分的には、いつまでも、純真な幼心をそのまま失わなかったというよりは、
きわめて繊細で並外れた感受性の強いという印象を作品から受けます。
感受性が強すぎて、心がもたないんじゃないかと思うほど、
繊細で、鋭く、敏感なものを感じるところがあります。

それは彼女の作品の、句読点ひとつ、言葉の使い方ひとつに強く感じるものです。

例えば、この「春の朝」を例に取りますと、
まず句読点を全て除いたものがこちら。


すずめがなくな
いいひよりだな
うっとり うっとり
ねむいな
上のまぶたはあこうか
下のまぶたはまァだよ
うっとり うっとり
ねむいな



句読点が無くなることで、詩のゆったりとしたテンポが失われ、
何かせかせかしたような印象を受ける詩調になってしまいます。


次に、詩の語句を漢字にしたもの


雀が鳴くな、
いい日和だな、
うっとり、うっとり
眠いな。
上の瞼はあこうか、
下の瞼はまァだよ、
うっとり、うっとり
眠いな。



漢字で表すと、語句自体の意味はわかりやすくなるものの、
ちょっと説明調になってしまうといいますか、詩が硬くなってしまう感じがします。
詩のテンポと漢字との相性があまり良くないといいますか。




すずめがなくな、
いいひよりだな、
うっとり、うっとり
ねむいな。
上のまぶたはあこうか、
下のまぶたはまぁだよ、
うっとり、うっとり
ねむいな。


どこが変わったか、わかりますでしょうか。


上のまぶたはあこうか、
下のまぶたはまァだよ、

を、

上のまぶたはあこうか、
下のまぶたはまぁだよ、

と、ひらがなの「ぁ」に直したものです。


ひらがなの「ぁ」ですと、まったりとした詩調が、
微妙に単調になるといいますか、冗長になるといいますか、そんな感じがあります。

ところが、カタカナの「ァ」にしますと、
ある種、それがアクセントとなり、
詩の柔らかさを保ちつつ、冗長になるのを防ぎ、 
詩調をきゅっと締めるというか、
そんな感じになるような気がします。

また、ここでの、カタカナの「ァ」は独特のかわいらしさを醸し出している、
子どものかわいらしさを象徴するような言葉で、
たとえ一文字でも、料理でいう、料理全体をハッと引き立たせる調味料的な、
そんな役割を果たしていると感じます。


ですから、「春の朝」は、金子みすゞが綴ったあの語句の形でなければ、やはりダメなのです。
詩を見るといいますか、字面を、絵画を観る感覚で見るといいますか、
彼女の作品はそんなところがあります。

語句の表し方ひとつ、句読点ひとつ、
それがきわめて絶妙で、微妙なバランスの上に乗って、
金子みすゞの純真な世界を造り出している。
そのように思います。