らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「鼓くらべ」山本周五郎 教科書名短篇より





山本周五郎肖像



お留伊は町一番の絹問屋の娘で、その鼓の腕前は素晴らしく、
正月に金沢城にて前田候の御前で行われる鼓くらべで、
一番の賞間違いなしといわれるほどでしたが、
勝ち気で負けず嫌いで、その鼓を打っている姿は、
美しさというよりは、むしろ凄まじさを感じさせるような女性でした。

そんな時、彼女は、鼓の音に誘われて庭に入ってきた
一人の老人と知り合いになります。

その老人は、名もなき旅の絵師ということでしたが、
お留伊は、不思議とその温雅な老人の雰囲気に惹かれ、
そのうち、親しく話をするようになります。

そして、いろいろな話をした後に、
その老人が、いつも話の最後に言う言葉がありました。

「私はずいぶん世間を見てきました。
そして、世の中に起こる多くの苦しみや悲しみは、
人と人とがにくみ合ったり、ねたみ合ったり、
自分の欲に負かされたりするところからくるのだということを知りました。
……わたしには今、いろいろなことがはっきりと分かります。
命はそう長いものではございません。
すべてがまたたくうちに過ぎ去ってしまいます。
人はもっともっとゆずり合わなくてはいけません。
もっともっと慈悲を持ち合わなくてはいけないのです。」

老人の言葉は静かで、押しつけがましい響きを持っておらず、
お留伊は心が温かく和やかになるのを感じるのでした。


お留伊は、新年に行われる鼓くらべに出るため、
最後の追い込みの練習に励んでいたのですが、
老人から、その昔、行われた「友割りの鼓」といわれる鼓くらべの話を聞きます。

それは観世市之丞と六郎兵衛という二人の囃子方が争った勝負で、
市之丞の意気はすさまじく、曲半ばにいたるや、精根を尽くして打ちこむ気合いで、
ついに相手の六郎兵衛の鼓を割らせてしまったという伝説の鼓くらべ。
しかし、市之丞はその後、それを恥じて、
何処かに去り、行方知れずになってしまいます。

その話の後に、老人は言います。

「すべて芸術は、
人の心を楽しませ、清くし、高めるために役立つべきもので、
そのためにだれかを負かそうとしたり、
人を押しのけて自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではありません。
鼓を打つにも、絵をかくにも、清浄な温かい心がない限り、なんの値打ちもない。
あなたは、お城の鼓くらべなどにお上がりなさらずとも、
そのお手並みは立派なものでございます。
人と優劣を争うことなどはおやめなさいまし。
音楽はもっと美しいものでございます。
人の世で最も美しいものでございます。」


そして、明けて新年、城の曲輪に設けられた新しい楽殿にて城主前田候の御前で、
ついにお留伊の鼓くらべが始まります。

その舞台の雰囲気は、読んでいる自分も、まるでその場にいるような、
城の広間の、しんとした静寂の中に、鼓の音だけが鳴っているように感じられ、
思わず手に汗握ってしまう緊張感あふれるものです。

その中で、ついに、お留伊の演奏が始まります。
今までにない自信に満ちた鼓が鳴り響く中、お留伊は自らの勝ちを確信します。

しかし、その瞬間、彼女の脳裏に、老人のあの言葉が浮かび上がります。
そして、ライバルの、勝とうとする執念を絵にしたような、
血の気を失った唇を片方にひき歪めている顔を見たその刹那、
老人と、友割りの鼓で姿をくらました市之丞との姿が重なり、
お留伊の鼓を打っていた右手がはたと止まります。


このあたりの描写は、鼓の止まった瞬間の静寂と、
ライバルの鼓だけが鳴り響く音、周囲のざわめき、
まるで優れた映像の映画を見ているかのような、
素晴らしい、文章の間合いというものを感じざるを得ません。


そして、その後、病床の老人に会いに急いで戻り駆けつけたお留伊でしたが、
老人の死に際に間に合うことはありませんでした。

老人の、床に横たわる亡骸を前に、ひとしきり泣いた後、
お留伊が、「男舞」 の曲を打ち始めるところで物語は終わります。


これは久しぶりに心奥に感じ入った作品でした。
ありきたりな表現だと言われるかもしれませんが、心にジーンと響きました。
最後にお留伊が打ち始めた「男舞」 の鼓の音色が、
いつまでも心に鳴り響いているという感じでしょうか。

実は、この作品、自分は中学の時に教科書で習っていました。
しかし、その内容をほとんど忘れており、
かろうじて覚えていたのは、
お留伊の師匠が、演奏を止めたお留伊を繰り返して詰(なじ)る描写。

おそらく、まだ子供だった自分は、命の最期に語った老人の心や、
それを悟ったお留伊の気持ちを理解することができなかったのでしょう。
勝つのが確実なのに、どうしてやめてしまうのだ。という
お留伊の師匠と同じレベルだったからに違いありません。

しかし、今なら理解できます。
いや、感じられるというべきでしょうか。

芸術とは目先の優劣を競い合うものではなく、
一生をかけて、自分自身と直に向き合うもの。
相手をねじ伏せるような迫力は一見、人目をひきますが、
それは芸術の本質ではない。
芸術とは、もっと静やかで、かつ強く豊かなもので、人々に力を与えるもの。
人生の全てを賭けて挑むに値するもの。


静かに、ドラマチックに、そして、清々しく、
芸術のありかたについて語ったこの作品。
文体そのものもさることながら、言葉と言葉の間の取り方が絶妙で、 
場面場面の鼓の音が、その時々にふさわしい音色に感じられ聴こえてくるような、見事な作品です。








上村松園「鼓の音」