らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【美術】新・北斎展5 画狂老人卍



















新・北斎展最後の記事となります。

画狂老人卍(まんじ)
これが北斎の最後の雅号となります。
75歳から90歳で死ぬまでの間使用されました。
上記の絵に卍の文字がサインされているのがわかりますでしょうか。

しかしなんとも斬新で奇抜な雅号ではありませんか。
現代でも通用する、150年世の中を先取りしたような斬新さがあります。
これを中二病みたいと言う人もいますが、とても面白いですね。



さて、最晩年に書いた作品の数々は作品の色彩がぐっと豊かになります。
そして絵の彫りが深くなる印象があります。
そしてなによりも生命力に満ちている。








北斎の描くものは、幽霊すら生命力に満ちています(笑)













最晩年に書いた龍の絵。




まるで人間の言葉を話しかけてくるような龍の表情、
そして鋼(はがね)の鱗のごときの龍の体。
無駄な部分が削ぎ落とされ、ある種の緊張感のようなものを醸し出しています。

その対として掲げてあった虎の絵は、一転して可愛いですね。
誤解を恐れずに言えば、女の子が描いたような可愛らしさがあります。
龍の絵の持つ緊張感に比べると、ほんわかさが際立っています。




ゴッホの向日葵ならぬ、葛飾北斎の向日葵。





向日葵の真ん中の花序の部分が、まるで一つ目の妖怪のように、
ギラギラと輝く生命力に満ちています。
花の盛りを過ぎて、花びらが小さくしぼんでしまったものでしょうか。
あるいは老年の北斎自身の似姿と言えるのかもしれません。
北斎88歳の時の作品です。

日本の浮世絵から様々なインスピレーションを受け、
数々の作品を描き上げたゴッホが、この向日葵を見たらどう思うでしょうか。
是非ゴッホに聞いてみたい。



そして、老年期の北斎の言葉が残っています。

「70歳以前に描いたものは取るに足らないものばかりであった。
73歳で多少は鳥獣虫魚の骨格や草木のなんたるかを悟り、
90歳で奥義を極め、100歳で神妙の域を超えるのではないだろうか。」


北斎の歳をとってからの生命力というものは、
老人にありがちな生にすがるというような後ろ向きなものではありません。
何かこうギラギラと燃え続ける灰汁のような、
前へ前へずんずん突き進むような、そんなイメージです。


そして北斎最後の作品がこちら。





冬の雪をかぶった真っ白な富士。
黒い雲気を纏った龍が天に昇っていきます。
この絵で初めて、北斎の諦念のようなものを垣間見た気がします。


今回の新・北斎展を見て思ったのは、
北斎の素晴らしさというのは、まだ無尽蔵に埋まっており、
掘り尽くされていないのではないかということ。



晩年、北斎が描いた自画像です。





皆さんはこの絵を見てどのようにお感じになるでしょうか。

一見不気味ながら(笑)、
嬉々としたその表情は恍惚感すら感じさせます。
90歳で命尽きるまで絵にのめりこみ、ひたすらに一筋に絵と向き合った人生。

絵に込められたそんな北斎の念が、作品を見る者の心を思わず取り込んでしまう、
それはヨーロッパ印象派の画家たちもそうですし、現代の我々もそうです。
そんな一途でひたむきで嬉々とした北斎がとても羨ましい。

北斎と違い凡人は、些末な世事に心を絡め取られて、
ひたむきに一途に生きるという事のは実はなかなか難しいのです。
コストパフォーマンスということに心を絡めとられた現代人には、
無縁の生き方といえるのかもしれません。

しかしながら、自分も北斎を見習って、ブログも変わることですし、
もたんもぞなどという、ゆるキャラみたいなハンドルネームは止めて、
美術鑑賞男子Ω(オメガ)というような
尖(とんが)ったハンドルネームに一新した方がよいかもしれません(笑)










葛飾北斎の墓
墓石には画狂老人卍墓と大書してあります。





これで、新・北斎展の記事は終わりです。
まだ開催中ですので、これはと思われた方はぜひ行ってみてください。
https://hokusai2019.jp/