らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「ゴッホの手紙」前編 小林秀雄






「ヴィンセントは何と沢山な事を思索して来たろう、
而も何といつも彼自身であったであろう、
それが人に解ってさえくれれば、これは本当に非凡な著書となるでしょう。」

弟テオが母に宛てた手紙より




長らくゴッホの手紙について綴ってまいりましたが、
ここにもう一人ゴッホの手紙に魅せられた人物がいます。
その名前は小林秀雄







一度はどなたもその名を聞いたことがあるでしょう、
文芸評論のパイオニアであり、
後世、様々な分野の批評に強い影響を与えた評論家の大家です。

彼はその著書の中で、彼独特の熱っぽい口調で、

ゴッホの手紙について語っています。

ところで、ゴッホという画家が、日本人に認知されたのはいつのことでしょうか。
調べてみると、戦前から知る人ぞ知る画家であったらしいのですが、
広く一般に知られるようになったのは、
戦後になって、小林秀雄が、この「ゴッホの手紙」を書いてからではないかと思われます。
この作品は、それほど後世に、大きな影響を与えたゴッホの評論ということができるでしょう。
今回「ゴッホの手紙」を書くにあたり、小林秀雄の存在をどうしようか迷いましたが、
やはり、無視し得ないものとして、
このシリーズの最後に取り上げることにしました。



小林秀雄は、上野の展覧会で、ゴッホのある作品の複製画を見て、
思わずその場でしゃがみこんでしまうようの衝撃を受けたと記しています。

言ってみれば、強烈な一目惚れといいますか、
がっちりと心を鷲掴みされてしまったわけです。

その作品とは、前に記事でも紹介しました、
ゴッホの遺作ともいわれる「カラスの群れ飛ぶ麦畑」。








小林秀雄は次のように言います。
「熟れきった麦は、金か硫黄の線條のように地面いっぱい突き刺さり、
それが傷口の様に稲妻形に裂けて、青磁色の草の縁に縁どられた小道の泥が、
イングリッシュ・レッドというのか知らん、牛肉色に剥き出ている。
空は紺青だが、嵐を孕んで、落ちたら最後助からぬ強風に高鳴る海原の様だ。
管弦楽が鳴るかと思へば、突然、休止符が来て、
烏の群れが音もなく舞っており、
旧約聖書の登場人物めいた影が、今、麦の穂の向うに消えた。」


まるで、フランスの詩人の作品を翻訳したかのような格調高い文章です(^_^;)
彼の感性の鋭さと豊かさを感じざるを得ません。


この衝撃のファーストインパクトから、
小林秀雄ゴッホ追究の文章が続いていくのですが、
しかし、彼の文体は独特のクセがあり、いかんせん分かりにくい。
いまだに大学入試の問題に使われるだけあって、並々ならぬ読解力と根気が必要になります。

しかし、それでもゴッホの手紙の入門として、この作品を推薦いたします。

なぜならば、小林秀雄の熱っぽい語り口もさることながら、
作品中、非常に豊富にゴッホの手紙がそのまま引用されており、
おそらくそれは作品全体の半分ほどにも及ぶでしょう。
しかも、それはゴッホの人生に時系列的に整理されたものとなっており、
かつ引用の全てに原書の手紙の番号が振ってあり、
オリジナルの原書に当たる際にも非常に便利ですし、
ゴッホの手紙に初めて触れる人にとっては、とてもセンスある構成となっております。

自分的に、本書に何よりも一番感心したのは、
彼の叙述の内容よりも、ゴッホの手紙の引用の仕方にあるとさえ言えます。

ぶっちゃけ、小林秀雄の評論の部分が難しいと思えば、 
その部分を全部飛ばして、
手紙の引用部分だけ読んでしまえばよろしい。

極論ですが、
それだけでも小林秀雄を読んだことになると思っています。

もちろん、小林秀雄の評論の部分に魅力を感じれば、 
じっくりと腰を落ち着けて読んでいただければいいのですが、
文芸評論には、実は読み方があると、自分は思っています。
それは、読み方を間違えると、

せっかく出会った芸術作品の印象を台無しにしかねないものです。
後編はそれについて述べたいと思います。


なお、小林秀雄ゴッホの手紙」も、いろいろなところから出版されていますが、
自分としては、注釈もわかりやすい新潮文庫版をお勧めします。
(なお、本作品は青空文庫未収録です)








まるでフエルトペンで書いたようなゴッホの「自画像」油彩画
なにかかわいい感じがしますね(^^)

ゴッホはモデルを雇う金がなかったため、
自らをモデルとして描かざるを得ず、たくさんの自画像を残しました。
その数40余り。
この作品はそのひとつです。