らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「実朝」小林秀雄










源実朝について何かひとつと問われれば、
自分は、この小林秀雄の「実朝」を薦めます。
小林秀雄というと、独特のクセのある文体で、
それだけで嫌になってしまうところがありますが、
この作品については、彼にしては読みやすい方です(笑)

この作品、実朝の和歌のチョイスが非常に優れています。
自分は、この作品で、実朝の優れた和歌をいくつも知りました。
そして、小林秀雄の、芸術に接する際の基本的な態度についても述べられており、
芸術に触れる人にとっては、一読の価値ありです。





萩の花
暮々(くれぐれ)までも
ありつるが
月出でて見るに
なきがはかなさ

夕暮れまで咲いていた
萩の花が
月が出てから見ると
もう散っていた
その命の儚(はかな)さよ


箱根路を
われ越えくれば
伊豆の海や
沖の小島に
波の寄るみゆ

箱根の山道を
越えてくると
急に広々とした伊豆の海が
目の前にあらわれた
沖の小島に
波が打ち寄せているのが
手に取るように見える



我こころ
いかにせよとか
山吹の
うつろふ花の
あらしたつみん

いったい私の心を
どうしようとして
散りゆく山吹の花の嵐は
吹きつけるのだろうか



神といひ
仏といふも
世の中の
人のこころの
ほかのものかは

神だの
仏だのと言うけれども
それは今の世を生きる
人々の心の有り様以外の何ものでもないのだ



塔をくみ
堂をつくるも
人の嘆き
懺悔にまさる
功徳やはある

塔を建てたり
お堂を造るのも功徳には違いない
しかし自らの罪深さを嘆き
懺悔するのに優る
功徳はあろうか



自分が、実朝の歌で感じるのはその静やかな爽やかさ。
淀み溜まった空気の中を、さっと優しく吹き抜ける風のような趣があります。
それは、具体的に言ってみれば、陰り無き無常観とでも言いましょうか。
無常を唱えても、徒然草方丈記は、世俗の手垢にまみれている感があります。
しかし、実朝のそれは無垢なんです。
汚れがない。
潔癖ということではありません。また諦念とは違う、静謐ともやや違う、
対象を見据えて、それを心の中におさめ、
そのまま拾い上げて作品の形にしたものが無常感とされるもの。
実朝のそれは、そんな感じです。


源実朝は、源氏直系に生まれながら、
28歳で鶴ヶ岡八幡宮の石段の大銀杏の陰に隠れていた刺客に命を奪われた、
悲劇の青年将軍というイメージがどうしてもついて回ります。
そのようなイメージで歌を眺めますと、
彼の歌には、多くの人々を殺め滅ぼしてきた、
源氏直系最後の血統としての運命を甘んじて受け止めるというような、
ある意味、悲愴な、ある意味、諦念な、
そして、ある意味、それに抗うような高ぶりというような感情を読み取る向きがありますが、
小林秀雄はこれについて異議を唱えます。

芸術作品というのは、他人が作り上げたその作者の虚構、
そこまでいかずとも、それに対するイメージを取り払って、
作品そのものから感じ取られるものを大事にしなければならない。

しかし、これはなかなか難しいことです。
ベートーベンといえば、耳の疾患から不屈の音楽、
ゴッホといえば、自分の耳を切り落としてしまうような激しさというように、
社会的に流布しているイメージから、どうしても、
その作品を想像してしまいがちです。

しかし、そのように他人に作られたイメージを取り払い、
作者の心の奥底から生まれ出てきたものと対話しようとして、
作者の裸の心に直に触れることができた時、
初めて作品のもつ真の素晴らしさを見出だすことができる。
小林秀雄は、くどくどと述べていますが、
そのようなことを言っているのだと思います。

要は、芸術とは、まず感じること。
素直な、囚われない気持ちで眺めたファーストインパクトのインスピレーションを大切にし、
そのインスピレーションを辿っていくことが大切なのだと感じます。


小林秀雄は、確かに、そのようにして、実朝の和歌を通して、その魂と直に対話しています。
実朝の歴史的エピソードを、山のように蓄えている歴史学者よりも、
源実朝という一青年の心の内を知り得ている。と、自分は感じます。

驚くべきことは、この「実朝」、戦中真っ只中の昭和18年に執筆されていることです。
そのような時代に書かれているにもかかわらず、
全てのものから自由で、何ものにも囚われるところがない。
また今から75年前の文章であるにもかかわらず、
まるで今、書いたばかりのような感性の瑞々しさが、その内容にはあります。

評論家小林秀雄の力量というものを思い知るにも、うってつけの作品といえます。
やはり、彼は並の評論家ではない、不世出の存在に違いない。そう思います。





「批評ハ無私ヲ得ル道デアル」と、彼は書いていますが、
それは、今回記事で示したものなのではないかと思っています。




この作品は青空文庫所蔵のものではありませんが、
一般にも非常に入手しやすいものです。
源実朝の非凡な短歌および評論家小林秀雄というものに興味ある方は、
ぜひお読みになってみてください。
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