らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「三国志」後編 吉川英治




三国志の人物の中で誰になりたいかと問われれば、
自分はやはり劉備を選びます。

それは何故か。

確かに、彼は流転の連続で辛苦を舐め続けた人生でしたけれども、
関羽張飛という生涯離れる事のない義兄弟と生涯を歩み続けることが出来ましたし、
そして何よりも、死の間際に、彼の志を託す人物に恵まれました。

その人物とは皆さんもご存知の諸葛亮です。

人間の志はその一代限りで終わってしまう切り花のようなものではありません。
一代では上手く花を咲かせなくても、
またその種が実り、次の世代で花を咲かせることもある。
志は託されてゆくものなのです。

劉備は志半ばにて亡くなりますが、
諸葛亮がいることにより安心して死んでいくことができたでしょう。
ある意味、劉備ほど自分の好きなように生きた人もいないともいえますが、
それを全て受け止めてくれる人物が傍らにいてくれたわけですから。

諸葛亮劉備の死後、その志を実現するべく身を粉にして活動しますが、
おそらく身も心も休まる時は無かったでしょう。
劉備が亡くなって諸葛亮の死まで僅か10年ちょっとなのですが、
そのフル回転の印象から20年にもそれ以上にも感じられます。

しかし、諸葛亮ほどの人をもってしても、
漢朝の復興の宿願を果たすことはできませんでした。
四百年を経た漢朝は、もはやその命数を使い果たしたというべきだったのかもしれません。

彼は孤独だったと思います。 劉備のように全幅の信頼を置いて
志を委ねることのできる人物はもはや蜀にはおりませんでした。
しかし、彼は蜀のために為しうることを全て為し、息を引き取りました。

「死せる孔明生ける仲達を走らす」の故事は、
その象徴たるエピソードであると自分は思います。

後世の君主の中には、「諸葛武候のように」と臣下に遺言する君主もいたそうです。

それほどまでに亡き君主の志を全うするため
己の全てを捧げた人生。

諸葛亮が宰相を務めた蜀の国というのは
国史全体からすると、ちっぽけな偏狭な国にしか過ぎません。


しかしながら、中国全土を制覇した大宰相に勝るとも劣らぬ名声を彼が得ているのは、
託された志に対する真摯で誠実な彼の生き方が、
後世の人々の心を深く捉えるところがあった証左ではないでしょうか。
そして、自らの志を受け継いでくれるものがあることへの
憧憬が込められているのかもしれません。




諸葛亮は今まで様々なキャラクターデザインがされてきましたが、
自分のベストはこちら。





NHK人形劇「三国志」 のもの。
物静かで穏やかで優しく、かつ厳しさをもった諸葛亮です。