らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「ヨーンの道」下嶋哲朗

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この作品は、絵本作家の下嶋哲朗さんが、沖縄に赴き、
沖縄に住む或るおばあちゃんの口から語られた話を聞き書きし、
その話を絵本の形にしたものです。

実は、自分が小学生の時の夏の読書感想文の課題図書でした。

自分は今の今まで、この作品は、沖縄の戦争のストーリーだと思っていましたが、
大人になって読み返してみると、印象は、かなり違っていました。

この話の語り部の、みそやのばあちゃんにとって、
戦争体験は、彼女の長いヨーンの道の人生の、ごく一部に過ぎなかったのです。

ヨーンとは沖縄の石垣島の言葉で、夜という意味。
ですから、ヨーンの道とは夜の道という意味になります。

夜の道と言っても、我々が思い浮かべる
街灯が照らしているような明るい道ではありません。
夜には辺りは真っ暗で、少し先も見えない細い道なき道。
一歩一歩足元を確めながら歩んでいくしかない道。
それがヨーンの道です。

島の生活というものは極めて貧しいものです。
南の島々では、自然の恵みも豊かですが、その厳しさもかなりのものです。
僅かながらの田畑を耕し、わずかなギリギリのところで、島の人々は生きており、
生き抜くために年寄りも子供もよく働かざるを得ない毎日。
自ら作った米は食べることができず、主食は根のようなサツマイモのみ。
それさえも不足すると、人々は毒性の強いソテツの汁をこして、粉にし、
サツマイモとねりあわせて食べたそうです。
未来など夢見ることのない、その日その日食べるのに精一杯の毎日。

この話の語り部のみそやのばあちゃんも、
ごく小さい時から、家族と生き抜くために働き続けました。
子供の頃から、そうやって働いて、蓄えたお金で、
みそやのばあちゃんはお嫁に行きます。
しかし、ちょうどその頃、日本は戦争の時代に入り、
結婚したばかりの夫は兵隊に取られ、行ったり来たりで、
島に残された彼女は、男になったつもりで一人働きます。
履き物を履くこともなく、裸足で、
足を擦り傷だらけにしながら、死に物狂いで働く毎日。


にんげんは、自分ひとりの考え方と健康―これしかないんだ。
自分ひとりで生きねばならん、
他人をたよってはいかん。助け合うことと、たよるというのは、ちがうと思うさぁ。


みそやのばあちゃんは5人の子供を生みます。
やっとのことで戦地から夫も戻ってきましたが、
負傷して、結核を患っていました。
子供の一人は腎臓を患い、
大きくなるまで四つん這いでしか歩けませんでした。
ほぼ寝たきりの旦那の薬代、注射代もかさみ、
たよるものはない、神も仏もいない、
朝3時に起き、夜も昼も働かなければならない毎日。
本当に先が全く見えない足元を見つめながら歩むしかない、
まさにヨーンの道の人生。

その中で、大晦日に米を借りた農家の帰り際、
台所にきれいに正月の用意がきれいにしてあるのを見て、
うちは、ほんとうの女であるのか。なんとみじめな生活をしているのか。
と流れる涙を田んぼの畔で洗ってから、家に帰ったというくだりは、
読んでいて、思わず心がきゅっとなります。

しかし、彼女の頑張りもかなわず、
夫は戦地から帰って9年後に死んでしまいます。

いよいよダメだという時に交わされた夫婦のこの時の会話は、
モノのやりとりではなく、心を契り合って生きてきた夫婦の在り方を
感じることができるものです。
ドラマのように大げさに泣き崩れるような悲劇的なものではなく、
ぽつりぽつりと語り合うその様子は、どこか穏やかさすら感じる、
落ち着いた、しっとりとした不思議な感覚があります。

表紙の絵は夫を火葬した時に、その火を見つめる彼女と子供達を描いた絵です。
夫が死んで家族に残されたものは、戦争の時に受けた、夫の体から出てきた弾丸五つだけでした。

それから月日は流れ、アメリカに占領されていた沖縄も日本に返還され、
時代も移り変わりました。
みそやのばあちゃんにも孫が10人もできました。

今度はうちが幸せになってからの話を聞いておくれよ。
と、そう言って、みそやのばあちゃんは今も達者に働いています。
というくだりでこの物語は終わります。

ところで、ヨーンの道というのは、石垣島に本当にあった道だそうです。
海岸沿いに茂る密林の中に細々と通じており、
昼でも夜でも暗い道で、誰いうとなく、ヨーンの道と呼ぶようになったとか。
しかし、自分は、それ以上にヨーンの道とは、
みそやのばあちゃんの生き方そのものを象徴しているように感じます。

今、我々は、みそやのばあちゃんのような貧しい生活など
考えることもできないような豊かな時代を謳歌しています。
しかし、明るく見通しのよい道になったがゆえに、
人々は遠い未来までの安定を考え、遠目ばかりを見遣るようになり、
すぐ足元にあるものに蹴躓(けつまず)くようになってしまいました。
中にはそれに疑心暗鬼となって、歩みを止めてしまう人もいます。

それに対して、みそやのばあちゃんの生き方は、
真っ暗闇な見通しのほとんどきかない道を僅かずつ歩むしかないものですけれども、
足元だけを見つめ一日一日を必死に精一杯生きることで、
ひとつひとつ石を積み重ねて石垣を作っていくような、
どしりとしたものをその心に感じさせます。
現代人のようなひ弱さを感じさせるところは一切ありません。

みそやのばあちゃんの生き方というのは、決して彼女に特有というわけでなく、
戦前戦中を生きてきた人々にとっては、
多かれ少なかれ、誰しもがくぐってきた生き方だと思うんです。
現在90歳くらいのお年で、かくしゃくとしておられる方々は、
そういう生き方をしてきたのだと感じます。
一日一日生きるか死ぬかの思いで生きてきて、
ひとつひとつ少しずつ積み重ねてきた、
堅固な石垣のような生き方がたやすく崩れるわけがありません。
そのような生き方をしていない現代の我々、
自分のことだけやっていれば事足りる恵まれた環境にありながら、
もういっぱいいっぱいだと心を病んでしまうような現代人に、
今のその方々のようなかくしゃくとした長寿を迎えることができるでしょうか。
果たして。。

本当はもっと上手く、みそやのばあちゃんの生き方を説明したかったのですが、 
そのような生き方に覚束ない自分は、
いまひとつ上手くそれを説明することができません。
ですから、ぜひ、みそやのばあちゃんの語りを御自身で読んでいただきたく思うのです。
図書館には必ずあると思いますので。

ちゅらさんで有名になった沖縄言葉の独特のアクセントが、
ともすれば暗く沈みがちになる話を、やわらげて優しく語ってくれます。