らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「智恵子の切り絵」高村光太郎


 

高村光太郎は、妻智恵子に数多くの詩作を残しましたが、
実は智恵子も夫光太郎のために、或る作品をいくつも残しました。

今日はこの、智恵子が残したこれらの作品についてのお話です。

智恵子が最晩年に東京北品川のジェームス坂病院に入院していた時、
高村光太郎精神病者には手先を使う細工がいいらしいということで、
千代紙、今でいう折り紙を買ってきて、智恵子に与えました。

智恵子は、殊の外、それを喜び、朝食を食べ終えると、
病室で、一日中、小さな、尖端の曲つたマニュキアに使うはさみで、
チョキチョキと千代紙を切りきざみ、切り絵を作り始めたのでした。

最初は、一枚の千代紙を切って
簡単な模様を作る程度の単純なものだったのですが、
すぐに飽きたらなくなり、形は次第に具体的に、
病室に飾られた花々やお見舞いの果物、病院の食事の食材など
複雑なものへとなってゆきました。
色も何色も使用し張り合わせ、
多彩な表現をするようになってゆきました。

こちらがその作品です。





 
 

 
 

 
 

 
 
 


いかがでしょうか。
切り絵の色と形が鮮やかに目に飛び込んできて、
ひとかどの芸術作品に仕上がっているように思います。

作品をじつと見ていると、
無心に、対象の形と色を追って千代紙を切っている智恵子の姿が目に見えてくるような気がします。

いわゆる細かいテクニック的な問題をあれこれ考え、それに悩むことなく、
素直に心に浮かんで感じたものを直截的に表現している。
というような作品に感じます。

実際、智恵子を看護していた姪の話によりますと、
しばらく千代紙をじつと見て考え、一旦切り始めると食事の時間も忘れるほど夢中になり、
千代紙を無駄にするようなことはほとんどなかったそうです。

亡くなる2年たらずで残した作品は千数百点。

智恵子は自ら創作した切り絵を他の誰にも絶対に見せず、
看護をしている姪が間近でのぞいたりすると、ひどく怒ったりしたそうです。
そして夫光太郎が見舞いに来た時だけ恥ずかしそうに
大切にしまってあった押入からそっと出して、嬉しそうに見せたと言います。

たくさんの作品の中には、切り絵アートといってもよいような
幾重もの色を重ねた作品もあれば、
小さな娘が自分が工作した折り紙の模様を父親に見せるような
シンプルな、あどけないような作品もあります。

これらは、最愛の夫高村光太郎に対する、
自己の想いを、切り絵に託したラブレターみたいなものだったのではないかと感じます。
だからこそ光太郎だけにその作品を見せ、
他の者には隠すようにして見せることなく、
看病してくれていた姪にすら、
製作途中で、気軽にのぞこうものなら怒ったのではないかと思うのです。

智恵子は死の間際まで、
夫光太郎が差し入れてくれた色とりどりの千代紙で切り絵をし、
夫が彼女に差し入れた花々や果物などを特に好んで作品を作ったといわれます。

彼女のその一途な想いは、
純真な祈りにも似た、純粋で無垢で、その想いが夫光太郎に伝わることのみを願って作られたもの。

そもそも芸術作品とは最初そのような素朴なものであったはずなのです。
智恵子は彼女の最晩年に、
自分が心の中に持っている最も純粋で美しいものを形にすることができた。

それは夫高村光太郎が残した智恵子抄に、
決して優るとも劣ることのない、
相和す一対を形造るものではないか感じます。