らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【テレビ番組】大河ドラマ 花燃ゆ3

 
 

「花燃ゆ」第13話、第14話、第15話の記事をすっ飛ばしていますが(^_^;)
実は今日放送の第17話「松陰、最期の言葉」を見ていただきたいので、
急遽、飛び越えて、前回の話を記事にしました。


第16話「最後の食卓」


今回のタイトルは「最後の食卓」。
江戸時代に食卓なんかないだろう。膳じゃないのか。
というツッコミが当然あると思います。

確かに史実的にはその通りだと思います。
しかし、この食卓設定は、歴史的にはフィクションかもしれませんが、
このドラマの吉田松陰像を明らかにしている重要なキーワードであると感じます。

それはどういうことか。

我々が、最後の食卓と聞いて、ピンとくるのは、おそらく最後の晩餐。
最後の晩餐といえば、新約聖書のイエスの物語。
 


エスは捕らえられるのを予感しながら、最後の夜、弟子たちと食事をとります。
その後、ほどなく捕吏が現れ、イエスは抵抗することなく、捕らえられ、
ローマの総督ピラトの前に引き出されます。
その裁判の場で、イエスは、一言の弁解もなく、自分の信仰を曲げることはありませんでした。

しかし、彼の信仰うんぬんにかかわらず、当時の政治的な思惑から、
死刑である磔の刑を言い渡されます。
磔というのは、当時最下層の人々の死刑の方法でした。
こうして、イエスは十字架の上で息を引きとります。

エスの死後、ぺテロなど彼の弟子であった者は、
エスの教えを広めるため、捨て身の布教をローマ帝国各地で始めます。
個人的には、イエスの肉体が復活した云々ということより、
遺志を継いだ、この弟子たちの活動が、本当のイエスの復活だと感じます。

結局、第一の弟子ぺテロはローマで捕らえられ、逆さ磔の刑に処せられ、殉教します。

しかし、その後も、パウロをはじめ、残りの弟子たち、そして、名も無き布教者の懸命な尽力により、
彼らの説くイエスの教えは、最下層の何ももたぬ人々の心を捉え、
やがては巨大なローマ帝国でさえ呑み込んでゆきました。

これが、ざっとしたイエスの死の逸話です。
これだけでもうピンときた方もいらっしゃると思いますが、一応自分なりの説明を。

最後の夜、家族や門弟と、最後の食事をとる吉田松陰
翌日、松陰は江戸に送られます。
幕府の高官の前に引き出される松陰
(ドラマでは井伊直弼と直接白洲で対峙していますが、これはフィクションです)。
その裁判の場で、松陰は、一言の弁解もなく、自分の信念を曲げることはありませんでした。

しかし、彼の信念うんぬんにかかわらず、
幕藩体制の維持に専心する大老井伊直弼により、死刑である斬首刑を言い渡されます。
武士として尊厳ある死刑は切腹であり、
斬首というのは、武士にあっては大変不名誉な死刑の方法だったのです。

松陰の死後、彼の教え子たちは、
彼の教えを実行するため、決死の行動を日本各地で取りはじめます。

途中、一番弟子の久坂玄瑞入江九一など禁門の変で志半ばにて戦死します。

しかし、その後も、高杉晋作はじめ、松陰の教えを受けた人々の懸命な戦いにより、
松陰の死後、10年にして江戸幕府は幕を閉じ、新しい維新の世が幕を開けることになります。

簡単ではありますが、これが吉田松陰のストーリーです。


自分は吉田松陰を神格化するものではありません。
ただ、純粋に、彼の信念とそれを実現するための生き方を尊敬する者です。
また、イエスも重々しい後世の権威的なキリスト教的ベールを剥がせば、
自己信ずる信仰を世の中のために、教え広め、実現しようとする、信念ある一青年だと感じます。

エス吉田松陰も志半ばで処刑されたのは30歳前後の、まだ若い青年でした。
このドラマの制作者は、二人のこのような類似点を捉えて、
松陰が家族や門弟と過ごした最後の夜の食事を「最後の膳」ではなく、
「最後の食卓」と題したのではないかと、ふと感じました。

ただ両者の最大の違いは、
聖書のシーンが、イエスが弟子の中に裏切り者がいることを告白した、
非常に緊迫したものであるのに対し、
吉田松陰のそれは、貧しいながらも家族みんなが寄り添って、
慈しみ合いながら生きてきた人々の暖かさがあるということです。

エスは孤独、孤高というべきでしょうか、であるのに対し、
吉田松陰は決してそうではない。


本日放送、安政の大獄により吉田松陰の最期の回になります。
ぜひ見ていただければと思います。
http://www.nhk.or.jp/hanamoyu/story/story_17.html
なお、松陰の遺書「留魂録」についても、後日記事にする予定です。
楽しみにしていてください。