【万葉集2012】3 うち霧らし 雪は降りつつ
今回感じ入った歌は
うち霧(き)らし
雪は降りつつ
しかすがに
我家(わぎへ)の園に
うぐひす鳴くも
大伴家持
空一面を曇らせて
雪が降り続いている
とはいえ
我が家の園では
うぐいすが鳴いていることよ
しんしんと静かに雪が降る中で、どこからかうぐいすの鳴く声だけがする。
雪で真っ白になった風景に、うぐいす独特の薄緑色がちらちらと見える。
非常にシンプルですが、こういうワンポイント的な情景みたいなものが、
自分、とても好きなんです。
絵になりますね。
実際、絵で描いても非常に美しい情景です。
先日読んだ宮澤賢治「水仙月の四日」でも、
真っ白な雪一面の世界に、赤い毛布にくるまった子どもがとても印象的でした。
選者は中国人で芥川賞を受賞した楊逸さん。
彼女の故郷ハルビンでは、雪が霧のように降って、何も見えなくなるというようには降らないそうです。
気温がマイナス20℃くらいなので湿気も少なく、
さらさらとした綺麗な雪しか降らないので、
雪が煙ったり霧になったりという情緒は想像しにくいとのことでした。
中国人というのは、とかく大げさで、
シンプルなものを受け入れがたい気質、感受性といったものが見受けられ、
いい意味でも悪い意味でも、もうひと工夫、ふた工夫加えてふくらまさないと、
気になってしまうとおっしゃっていました。
この短歌を漢詩にするとわずか二行14文字にしかならないが、
漢詩としては短くて、シンプルすぎるとのことです。
こういったものは、長く日本で暮らさないと
なかなかその良さを味わうことができないということでしたが、
そうすると、逆に言えば、
日本とは異なる自然の中で生まれ育った人でも、
長い間、日本に住んで、そのような自然に触れている間に、
短歌に詠まれているような自然の美しさのようなものが、
わかるようになってくるということなのかな
と非常に興味深く感じました。
そうすると、やはり詩というものは、
理解して考えるものというよりは、
心や肌で感じとるものなのかもしれないと、
前からそう思ってはいましたが、その思いを新たにしました。
この短歌を漢詩にするとわずか二行14文字にしかならないが、
漢詩としては短くて、シンプルすぎるとのことです。
こういったものは、長く日本で暮らさないと
なかなかその良さを味わうことができないということでしたが、
そうすると、逆に言えば、
日本とは異なる自然の中で生まれ育った人でも、
長い間、日本に住んで、そのような自然に触れている間に、
短歌に詠まれているような自然の美しさのようなものが、
わかるようになってくるということなのかな
と非常に興味深く感じました。
そうすると、やはり詩というものは、
理解して考えるものというよりは、
心や肌で感じとるものなのかもしれないと、
前からそう思ってはいましたが、その思いを新たにしました。