らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「レモン哀歌」智恵子抄より 高村光太郎

 

 
 
                    

 
 
レモン哀歌


そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


 


高村光太郎が最愛の妻智恵子の死に臨んで詠んだ詩。

死に臨む空間というのは、他には例えようがないような独特の静寂感があります。

詩にもあるように「かなしく白くあかるい」
そして、どこか虚(うつ)ろで何ともいえぬ張りつめた空気が、
その空間とそこにいる人を支配しています。

死の数時間前、智恵子は光太郎が差し入れたレモンをひとかじりしたのは実際にあった話です。

末期の水ならぬ末期のレモンというところでしょうが、
レモンの黄色い鮮やかな色彩と独特の清涼感が、死が忍び寄る虚ろな空気を一気に払いのけています。

死が一瞬それにひるんで後ずさりした時、
智恵子は正気を取り戻し、愛する夫光太郎と最期の別れをします。

弱々しくも固く握った手の力、智恵子の澄んだ青い瞳は、
彼女のいきいきとした生の象徴です。

そして束の間の別れを告げた後、
智恵子は大きく深呼吸をひとつして息を引き取ります。

ああ、死がこの世での二人を分かちてしまったんだなと強く感じる瞬間です。

しかし夫光太郎には不思議と慟哭などの激しい感情はありません。
感じるのはひたすらに静かな哀しみと
ひたすらに慈しみに満ちた、死に往く妻への眼差しのみ。

夫婦というのは実に不思議なもので、
もともと全く血も繋がっていないアカの他人であるのに、
最も長く人生を伴にする存在であり、
人生で経験した喜び、哀しみなどあらゆる感情が全て紡がれて、
互いの心に結び合っている存在です。

光太郎と智恵子の夫婦も、
ある意味、普通の夫婦以上に、
喜びも哀しみも共に分かち合った存在でしたから、
二人の心の結びつきは深く離れがたいものであったでしょう。

この死における安らかな、爽やかさすら感じるこのような気持ちは、
精一杯共に生き切った二人にしかわからぬ思いなのかもしれません。


この世における智恵子の葛藤、闘いが静かに終わりを迎え、
夫である光太郎が、妻に静かに美しく死に化粧をほどこしてやっているような、
この作品は、そんなふうに自分は感じます。


 
 

 




智恵子が愛し、
いつも着物の袂に入れ持ち歩いていた白文鳥
高村光太郎