らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「樹下の二人」智恵子抄より 高村光太郎

 
                                          
一番幸せな時期だったといわれる高村光太郎と智恵子夫妻
 
 
 
 
樹下の二人

――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――


あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫(さかぐら)。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川




智恵子抄は、詩人高村光太郎が妻智恵子への思いを綴った作品を集めたもので、
智恵子の死後発表されたものです。

高村光太郎と妻智恵子の物語は知らぬ者がおらぬほど
仲睦まじい夫婦の物語として知られていますが、
実を言いますと、二人がどのような思いを辿って人生を歩んでいったのか、
恥ずかしながら、あまり詳しいことを知らないのです。

しかし芸術家というものは、作品の中で自らの思いを結実させ語ってゆくもの。
むしろ予断を排して、真っ直ぐに作品そのものを見つめることで、
作者高村光太郎の妻智恵子に対する思いを読み取ってみようと思います。


この作品の作者は、喜びに満ち満ちて、気持ちが大変高揚しており、
同時にとても穏やかで、落ち着いている心持ちに感じます。
深い安らぎに満たされた喜びの心とは、
このようなものを言うのでしょうか。
穏やかで、まどろんでしまいそうなほどの陶酔感あふれ、
非常にリラックスした心持ちにありながら、
二人互いに組み合っている手は熱く、固く繋がり合っている。

「あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。」
というくだりは、現代の恋愛ストーリーの台詞にでも出てきそうな
斬新で、開放感溢れる、爽やかな清々しさを感じさせます。

二人の眼下に広がる妻智恵子の生まれ故郷のパノラマは、
作者自身の心の風景でもあるのでしょう。
二人一緒にいる限り、彼の心の世界は、このパノラマのように、
一点の曇りもない冬晴れのすきとおった青空のように、
見渡す限り果てしなく広がってゆき、その限りを知らない。
と同時に、母の胎内に入っているような穏やかな安らぎを感じている。

たとえ都会のドロドロした渦の中に一時身を投じたとしても、
智恵子と一緒にいる限り、このパノラマのような果てしなく広く清々しい心を
呼び戻すことができると信じて疑わない自信と歓び。
そして、そのような心を与えてくれた伴侶智恵子と、
今一緒にぴったりと寄り添い合っている安らぎ。

人はこれほどまでに或る人に心を傾けられるものであるのでしょうか。
作品に触れると、何かこちらも穏やかに心が高揚してゆくような、
爽やかで清々しい気持ちが、いつまでも自分の中に留まり続けるような、
そんな気持ちにさせてくれます。

高村光太郎の、妻智恵子に対する愛の賛歌が存分に表現された作品に感じます。



なお、高村光太郎と智恵子の軌跡については、
時系列的に、高村光太郎の作品をまじえながら、
数回にわけて記事を書いてみようと思っています。
お楽しみにしていてください。