らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

短歌1 正岡子規

 
 
 
 
 
 
 
 

真砂(まさご)なす
数なき星の
其中(そのなか)に
吾に向ひて
光る星あり


正岡子規


砂粒を散らしたような
大宇宙の無数の星の中に
自分の方に向かって
光を放っている星もあるのだ



以前、夏目漱石不惑にして転職した作品の記事を書きました。
その中には夏目漱石の知られざる心中の苦悩や、
自らの退路を絶って文学の道を突き進もうとする決意のほどが伺い知れ、
かような思いを以てして
作家夏目漱石は誕生したのかと思いを新たにしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/12789083.html


夏目漱石の大学時代の親友で、
その後も親密な交流があった正岡子規
漱石が東大の教官を辞して朝日新聞に転職した時、
子規は既にその6年前に亡くなっており、この世にはありませんでした。

漱石は官職にとどまるかとどまらざるかという選択の余地がありましたが、
子規の人生にはそのような選択の余裕などありませんでした。
あるのは病による、いつやって来てもおかしくない死の一択のみ。

子規は20代の早い時期から結核の兆候が表れ始め、
それは次第に悪化していきます。

そして遂に25歳にして東京大学を中退。
兄の友人が経営する小さな新聞社に勤め始め、
文筆業にいそしむことになります。
この時点で子規の、いわゆる当時のエリートへの道は絶たれたことになります。

日に日に悪化していく結核の病状。
喀血することもしばしばあり、
自分の体が次第にじわじわと弱っていく中、
大学の学友は、ある者は官職に就き、出世の階段をどんどん上ってゆき、
ある者は外国に官費留学して帰国後の社会的地位を保証され、
ある者は軍人の士官として日清戦争などで軍功を挙げ、
世間から脚光を浴び賞賛を受けます。

翻ってみるに子規には、ただ己の病身ひとつあるだけ。

今でいう同人誌のような短歌や俳句の小さな雑誌を立ち上げ、
郷里の後輩達などと細々と句会などを開催し、
その振興をはかっていました。

当時の短歌や俳句は隠居の暇つぶし、言葉遊びなどといわれ、
その文化的地位はきわめて低いものでした。
それを子規は、そうじゃない、和歌や俳句というのは、
日本人の心奥に根ざした素晴らしい文化なんだと、
一人声高に世間に向けてメッセージを送っていました。

しかし、夜の街にひとり歌うストリートミュージシャンのごとく、
足を止めて子規の言葉に耳を傾ける人はほとんど無かったでしょう。
日本はこの時期、維新回天に成功し、
初の対外戦争である日清戦争に勝利。
国民の目は目新しいもの目新しいものへと惹きつけられていたからです。

この短歌はそのような時に詠んだものでしょうか。
決して優れた秀句というわけではないかもしれませんが、
子規の心を丹念にひとつひとつ詠み取った丁寧な句であると感じます。

彼はその生涯において、
決して躊躇(ためら)ったり、羨(うらや)んだりして立ち止まることなく、
最期まで前を向いて自らの道を歩き続けた。
自分を見てくれる人が必ずいることを信じて。

最後の3年間は、ほぼ寝たきりで、
寝返りを打つことすらできませんでした。
臀部や背中に穴があき、膿が流れ出るようになり、
常に激痛に苛まれながら、痛みを麻痺剤で和らげながら、
俳句、短歌、随筆など数多くの作品を書き続けました。

「病床六尺」という随筆は、
子規が亡くなる前々日まで書き続けられたものですが、
死の直前まで、死の恐怖や病の痛みというものを感じさせない力強さ、
対象をじっと写生する冷静な観察力を感じさせます。
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/10258235.html

自分は、子規の今回紹介した句に触れる度に、
自己のなけなしの力全てを以て、
自らの道をひたすら歩み進もうという意志の力を感じます。

夏目漱石の転職の際の文章に、
命のやりとりをする樣な維新の志士の如き烈しい精神で…
という下りがありますが、
子規こそ最期まで前を向いて歩み続け、前のめりに死んだ
幕末の志士のごとき人生あったと感じざるをえません。




病床における正岡子規