らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

民間伝承「笠地蔵」

 
 




何となく
今年はよい事あるごとし
元日の朝晴れて風無し


石川啄木


元旦の朝も明けましたね。
みなさん、あけましておめでとうございます。

自分は、この歌のようなささやかな思いを、
今年は大切にしてゆきたいと思っています。

ささやかと申しますと、些細なとか、僅かなというように
なにか物足りないことを意味するように捉えがちですが、
自分はこのささやかにこそ、
人に幸せにさせる真髄があると感じています。

その意味を込めて、新年一番最初の記事に、
この話をお送りしようと思います。


民話収集家が、北陸のある地方を回っていた時のこと。
民話収集家というのは、地方に語り継がれている民話を絶やさぬよう収集し、
保存する活動をしている人のことをいいますが、
齢九十を越えたお婆さんが北陸のその地方に伝わる
ある民話を語ってくれたそうです。

少し聞くと、すぐ、日本で広く知られている笠地蔵の話だとわかりました。
なんだ、無駄足だったなと思いながらも、
せっかく話して下さっているのだからと、
最後まで話を聞いてみようと黙って聞いていたそうです。

やがて話は佳境に入り、家に帰ってきたおじいさんが、
笠は売れなくて、寒そうに雪に埋もれていたお地蔵さまにかぶせてきたことを、
家で待っていたおばあさんに告げ、
大晦日の夜、二人床につくところまで進みました。

民話収集家は、いよいよ米俵や金銀財宝が満載のそりを引っ張った
お地蔵さまが登場するのかと思いきや、

寝床の中で、おじいさんとおばあさんの二人は、
お正月のお餅を買えなかったのは残念だったけれども、
お互いなんとか達者で暮らすことができたし、
なにより今年は最後に本当に良いことができた。
来年もこのような良いことができるといい。
と温かい気持ちで静かに二人で眠りについた…

と、ここで話は終わったそうです。

あれ?宝物を満載したお地蔵さまは?

民話収集家は、その時ちょっとびっくりして、
そう思ったそうですが、
後から、これこそ笠地蔵の本当の形なのではないかと思い直したそうです。

自分も同じに思います。

人間、肉体がある以上、物の効用というものは確かにあり、
それを全て否定するつもりはありませんが、
米俵や千両箱満載の宝というような、
満ち溢れた物というものは、いわゆる刺激のようなもの。

刺激というものは、それを受けているときには確かに心地よいものですが、
すぐ物足りなくなってしまものであり、
あって当たり前になってしまうものです。
そして、もっと刺激はないのかと、
飽くなく更なる刺激を追い求めてしまうもの。

刺激というものは満足を知りません。

無くなってしまう喪失感を感じるのが刺激。
無くなってしまったら、
また同じものが手に入るのだろうかと不安に感じるのが刺激です。

そして自分より大きな刺激を持っている他人をうらやむようになる。


これに対し、ささやかな思いというものは、
いくらでも積み上げることができるもの。

ささやかな思いというものは常に心地よく、欠けることのないものです。

そして自分より大きな物を持っている他人をうらやむようになる刺激とは異なり、
そのささやかな思いは、万人にいくらでも分かち合うことができるもの。

無くなってしまう喪失感や、
無くなってしまったら、同じものが手に入るのだろうかという不安感とは無縁で、
常に心に留まり続けるものです。

刺激のような味の濃いものに慣らされてしまった現代人の心には、
ほのかな思いという、ほんのりした味わいのものは、
薄くてわかりにくくなってしまっているかもしれません。

しかし、自分は、このようなささやかな思いを積み重ねることこそ、
人生を豊かにするものではないかと感じています。


自分もブログを見た方に手っ取り早くお金儲けさせてあげる記事を書くことは覚束ないですが、
芸術作品から感じた、ささやかな思いを伝えることは何とかできます。

ですから、ブログを読んでくださった方に、
そのような思いを積み上げる一助になるよう、
今年も記事をいろいろ書いてみようと思う次第です。