らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2013】6 移り行く時見るごとに

 
 
移り行く
時見るごとに
心痛く
昔の人し
思ほゆるかも



大伴家持



移り変わる
季節を目にするたびに
心が痛むほど
なつかしい昔の人達のことが
思い出されてならない




この世に生を受けた者は必ず死ぬ運命にあります。
死んだらどうなるのか…
いろいろなことが言われていますが、
実際のところは、死んでみないとわからないところがあります。

ただひとつ確かなことは、
死ぬとこの世から肉体が無くなり、
五官を通じた意思の疎通をすることができなくなってしまう。
ということです。

亡くなった人を、この世によみがえらせるには、
この世に生き残っている者が、
亡くなった人達を思い出し、偲ぶこと。
これしかないのかもしれません。

無関心で、思い出すことが無くなってしまえば、
それは、この世での本当の死を意味するようにも感じます。
人は愛で生きるものとするなら、
愛の対義語は無関心であり、
無関心は人を死に追いやるものといえるからです。



そして春の気配が徐々に感じられるこの季節、
今から二年前の今日、東日本大震災にて約2万人の方々が亡くなりました。

自分が被災した、震源から遠く離れた横浜ですら、
嵐の竹林のように、電柱がびゅんびゅんうなりを上げてしなっており、
自分は街路樹にしがみついているのが精一杯でした。
それ以上の揺れを体験された福島近辺の方々の恐怖たるや、推して計るべしです。

この大震災は、こういうことでも人間は生を終えてしまう、
死を迎えざるを得ないことがあるのだと、
身をもって教えてくれた出来事でした。

年老いて、生のエネルギーを使い切って亡くなる人は、
幸せなのかもしれません。
そうでない人々の無念たるや、
それを考えると心が痛くなりますけれども、
せめて我々生きている者は、
亡くなられた方々を思い偲び、
この世からその人達の存在を無くしてしまわぬよう
努めていかなければならないと感じます。

なお、当日自分も被災し、といっても帰宅困難者になりかけたというだけですが、
今頃は、ちょうど横浜アリーナに避難していた頃でしょうか、
その時に思いついて、知っておくと役に立つこと、携帯しておくと便利なものなどを、
東日本大震災関連】という書庫にまとめてあります。
興味ある方はぜひご覧になってみてください。

ただ、亡くなられた方も、生きている我々が、
暗く沈みながら、思い出したり偲んだりということを
決して望んではいないように思います。
 
ですから、もちろん不遜があってはなりませんが、
次回の記事からは、またいつも通りの、
楽しかったり、嬉しかったり、悲しかったりの記事をお送りしたいと思っています。

何か特別なイベントを設けて、そのセレモニー的な時に、
ことさら思い偲ぶというよりは、
日頃なにげない時に、ふと心に留めるものがある。
ささやかかもしれませんが、
そういうことが大事なのではないかと思っています。