らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「倫敦消息」夏目漱石

ロンドンオリンピックも、あっという間に終わってしまいましたね。

自分も、最終日の男子マラソンを見ていましたが、
選手達が走るロンドン市内の様々な街並みに、
歴史と伝統、そして新しい文化の息吹きのようなものを感じました。

今回は、そんなロンドンで、
今から110年前、自分は何をするべきかということを、
懸命に模索していた夏目漱石が、
ロンドンの留学生活について記した「倫敦消息」という作品を紹介しようと思います。


漱石のロンドン留学というと、孤独とプレッシャーから神経衰弱となり、
及び東洋人であることでいわれなき人種差別を受け、
文部省への報告書を、白紙のまま本国へ送るなどの奇行も目立ち、
漱石発狂という噂が文部省内に流れ、急遽帰国を命じられ、帰国した。
というのが通説になっています。

言ってみれば、プライドがズタズタにされ、
ボロボロの状態で日本に帰国した。
というところでしょうか。

この作品は、そのようなロンドン留学中に書かれた文章ですから、
さぞ憔悴しきった、ネガティブな雰囲気に満ちたものかと思いきや、さにあらず。
非常に軽やかで、リズミカルで、まるで落語家の噺でも聞いているかのような、
憔悴どころか精気のようなものすら感じます。

非常に生き生きとテンポよく、
漱石の見聞したロンドンの諸事について記されています。

ロンドンに行って初めて客観的にわかった、
日本の知的階層の近視眼的な緩慢さと将来への危うさ。

漱石の住む下宿の様子から、下宿から出かける道すがらや人々の様子などなど。

作中「地下電気」というのは今の地下鉄でしょうね。
110年前には既にロンドンに地下鉄が走っていたんです。
乗客がおしゃべりしたり、お菓子を食べたり、新聞や雑誌を読んだり、
というのは、今の日本の電車の中でもありふれた光景ですが、
当時の日本では、今のような鉄道網はひかれていませんでしたから、珍しい光景だったのでしょう。

あと自虐?ギャグの数々。
例えば、
「逢う奴も逢う奴も皆んな厭に背いが高い。
(中略)公平な処が向うの方がどうしても立派だ。
向うから妙な顔色をした一寸法師が来たなと思うと、
これすなわち乃公(漱石)自身の影が姿見に写ったのである。
やむをえず苦笑いをすると向うでも苦笑いをする。
これは理の当然だ」

ちなみに漱石は身長が157センチほどだったそうです。
これは日本人の中で小さいというわけでなく、
当時日本成年男性の平均身長だったそうで、
今の日本人の女性の平均くらいでしょうか。
そうすると今の女性が、街を歩いたり、電車に乗って感じる、
男性との身長の差くらいの感覚を、漱石も感じていたのでしょう。

これを身体的コンプレックスを卑下していたという向きもありますが、
しかし、それにしては漱石には余裕があります。
むしろコンプレックスと思われるものを逆手にとって、
読み手を笑わそうとしている風にすら感じます。

その他、ロンドンで漱石と絡むイギリスの人々。

生意気で、知ったかぶりが多い、
つまらない英語を使って、あなたはこの字を知っておいでですかと聞く
下宿屋のおかみさん。

I beg your pardon?(もう一度お願いします)の発音が舌足らずで、
漱石が敬服しかつ辟易している下男のベッジパードン氏。

財産を差押えられそうになり、漱石を巻き込みながら、
果敢に差押人と闘う下宿屋の亭主などなど。

それらの人々に対する細かいツッコミも、いちいち笑えます。

漱石さん、結構楽しくやってるように見えるんですけども(^_^;)

その個性豊かで愉快な面々は、
漱石の、後の「我が輩は猫である」や「坊ちゃん」に登場する人々を彷彿とさせます。

さぞかし死病で病床に伏していた子規も慰められ、
見たことのない倫敦への想像に馳せたことでしょう。

では、漱石のロンドン留学が、ぼろぼろな散々なもののように言われるのでしょうか?

もしかしたら、正規のルートに固執していた人々が、
そのルートから大きく外れた道を選んだ漱石
「発狂」と評したのかもしれません。
もちろん、当時二流国にあった日本を代表する形での留学ですから、
プレッシャーは当然ありますし、神経も衰弱したことでしょう。
実際、物価の高いロンドンで、少ない留学費用のやりくりなどで苦労もしています。

しかし、漱石はそのようなものと戦いながら、
自分は何をすべきか。ということにも貪欲であったと感じます。
それを感じさせるだけの精気が、この文章にはあります。

後年の文豪夏目漱石の胎動のようなものを、大いに感じます。


この作品、なぜか初見では、非常に読みづらいのですが、
2回目だと、意外にすうっと文章が頭に入ります。
読めば、夏目漱石を再発見することができる作品だと思います。