らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】21 孟嘗君(もうしょうくん)前編

 
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小倉百人一首に収められている清少納言の和歌

夜をこめて
鳥の空音は
はかるとも
よに逢坂の
関はゆるさじ

夜が明けないうちに
鶏の鳴き声を真似て
私をだまして通ろうとなさっても
あなたと私の間の逢坂の
関所だけは決してお通ししませんよ


上の句の部分、
夜が明けないうちに鶏の真似をして騙して通るって何のこと?
と思いませんか。

この?の部分のエピソードの主が、今回取り上げる孟嘗君(もうしょうくん)のお話です。


孟嘗君は今から二千数百年前、中国の春秋戦国時代に生まれました。
有名な秦の始皇帝の時代より更に百年ほどさかのぼります。

どういう人物だったかというと、司馬遷史記」に次のような話があります。

斉の国の公子である父田嬰(でんえい)は孟嘗君が産まれた時、産んだ母親に彼を殺すように命じます。

当時5月5日に生まれた子は、長じて親を殺すと信じられていました。

これは、仲良しのブロ友さんの記事で知ったのですが、
古来陰暦5月5日を「薬降る」日、すなわち薬日(くすりび)と言うようです。
「薬降る」とは魔除けの呪語で、
端午の節句の夜は、魔が降臨するから、
女子は外に出てはいけないって言い伝えられてきたとのこと。
二千数百年前に、すでにその元となるような話があり、
今も少々形を変えながらも、言い伝えられているとは、少々驚きです。

しかし母親は密かに孟嘗君を匿って育て、彼は立派に成人するに至りました。

成人のお目見えの際、
父田嬰は、母親が孟嘗君を殺さなかったことを激しくなじります。
その話に割って入る孟嘗君

「なぜ5月5日に産まれた子を育ててはいけないのでしょうか。」

「それはその子が家の戸口に背丈が伸びた時に、親を殺すと言い伝えられているからだ。」

「でしたら、家の戸口を、背が届かないくらい高くしてしまえばよいではないですか。」

なにか一休さんのトンチ話に出てきそうな感じです。

この話に象徴されるように、
孟嘗君は若い頃から頭の回転が早く、発想が柔らかな聡明な人であったようです。

ある日、孟嘗君は、政治をおろそかにし、蓄財ばかりに励む父に向かって尋ねます。

「子供の子は何と申しますか」

「孫だ」

「孫の孫は何と申しますか」

「玄孫(やしゃご)だ」

「玄孫の孫は何と申しますか」

「わからぬ」

「父上が政治を司るようになってから久しく、
その間に父上は有り余るほど財産を積み蓄えておられますが、
それは先ほどの呼び名も知れぬ者にやるおつもりなのですか。
国の政道は日一日と欠けてゆきますのに、
お父上の為さり様は不思議でなりません。」


これを聞いた父田嬰は、孟嘗君に敬意を払い、
家のとりしまり及び客分の接待を任せることにしました。

史記には、このような説得術の妙を感じさせる話がいくつも出てきますが、
これもそのひとつです。

このやり取りの妙は、簡単な受け答えを積み重ねてゆき、
父田嬰が、玄孫の孫なんてはるかに先の話なんて、
どうでもいいだろうと感じたところで、
間髪入れず、そんなどうでもいいような先の人のために、せっせと蓄財しているんですか。
と一気に畳みかけたところにあります。

単純なストレートの直言では、相手も意固地になったり、
へそを曲げたりで、目的を達成できないことが多々あります。

こういうことは、議論を回避したがる日本人には、極めて不得手な分野なのかもしれません。


また、孟嘗君は接客している間、屏風のかげに書記がいて、客の対話を記録し、
親戚の居所などを問うた場合、すぐさま使いの者が親戚に贈り物を届け挨拶に行くなど、
身分の高い者としては異例ともいえる、心配りの細かさも持ち合わせていました。


ほどなく父田嬰が亡くなり、孟嘗君が後を継ぎます。

孟嘗君は財産を投げ出し、集まってくる人々を身分に関わらず、分け隔てなく厚遇しました。


これにも逸話があります。

あるとき夜の宴会で、1人の客が他の客より料理が粗末だと怒り出し、席を立とうとした。
これを聞いた田文は自分の席の料理を、客に比べて見せた。
疑ったことを恥じた客は自決した。


孟嘗君は客を選り好みせず、誰でも手厚くもてなしたので、
誰もが自分だけが親近されていると感じたといいます。

それだから、天下の士は争って孟嘗君の元にやって来ました。
その数およそ数千。
孟嘗君のいる斉の国の勢いは益々盛んになってゆきました。

しかし、これだけの逸話ですと、せいぜい天下の名士というにすぎません。
孟嘗君の素晴らしいところは人を集めたということだけでなく、
その集めた人の使い方にあります。

その典型的な話が、冒頭のエピソードにまつわる話です。

長くなりましたので、続きは後編にて。