「自由と恐怖」不道徳教育講座より 三島由紀夫
三島由紀夫は蟹が怖いらしいです。
文章中、わざわざ「カニ」と書いているのは、「蟹」と書くと蟹の形を思い出して、
いてもたってもいられなくなるからだそうです。
少しだけですが、その気持ちわかります。
蟹って、ちょっと形がエイリアンぽいですものね。
同じような話で、サザエを知らないインド人の婿が、日本人の姑が
文章中、わざわざ「カニ」と書いているのは、「蟹」と書くと蟹の形を思い出して、
いてもたってもいられなくなるからだそうです。
少しだけですが、その気持ちわかります。
蟹って、ちょっと形がエイリアンぽいですものね。
同じような話で、サザエを知らないインド人の婿が、日本人の姑が
おいしそうにサザエの身を貝殻から引き出して、
むしゃむしゃ食べているのを見て、怖気を震ったという話を読んだことがあります。
サザエも見ようによっては、かなりグロテスクですから。
ある意味、蟹以上にエイリアンぽいような気がします。
その他に三船敏郎は石灯籠が怖いとか、ある人は布団の水玉模様が怖いとか記述しています。
これについては理由は意味不明ですが、
自分の友達で、蝶の模様が怖いという奴がいます。
どうしてだ?と尋ねると、何か見つめられているような気がするということらしいです。
蝶の標本集みたいなものを見たら、おそらく発狂するみたいなこと言っていました。
じゃあ、お前は何が怖いんだと尋ねられるかもしれませんが、
自分は寿司と天ぷらが怖いです。
という冗談はさておき、
幼虫系が苦手ですね。蝶の幼虫とか毛虫の類です。
でも父の実家岐阜県の名産蜂の子、つまり蜂の幼虫は大好物で、
ご飯の上に乗せてばくばく食べることができます。
希少で高価のため、なかなか食べられるものではありませんけれども。
食べる様子を見たら、みなさんは、自分が風習の異なる異民族に見えるかもしれませんよ(^_^;)
ですから幼虫系が苦手といっても、かなりいい加減なものではあります。
三島由紀夫はこのように、人によって様々な恐怖の対象があるというのは
自由の裏返しであるといいます。
即ち原爆や水爆や病気などというものは全人類共通の「恐怖」そのものであって
むしゃむしゃ食べているのを見て、怖気を震ったという話を読んだことがあります。
サザエも見ようによっては、かなりグロテスクですから。
ある意味、蟹以上にエイリアンぽいような気がします。
その他に三船敏郎は石灯籠が怖いとか、ある人は布団の水玉模様が怖いとか記述しています。
これについては理由は意味不明ですが、
自分の友達で、蝶の模様が怖いという奴がいます。
どうしてだ?と尋ねると、何か見つめられているような気がするということらしいです。
蝶の標本集みたいなものを見たら、おそらく発狂するみたいなこと言っていました。
じゃあ、お前は何が怖いんだと尋ねられるかもしれませんが、
自分は寿司と天ぷらが怖いです。
という冗談はさておき、
幼虫系が苦手ですね。蝶の幼虫とか毛虫の類です。
でも父の実家岐阜県の名産蜂の子、つまり蜂の幼虫は大好物で、
ご飯の上に乗せてばくばく食べることができます。
希少で高価のため、なかなか食べられるものではありませんけれども。
食べる様子を見たら、みなさんは、自分が風習の異なる異民族に見えるかもしれませんよ(^_^;)
ですから幼虫系が苦手といっても、かなりいい加減なものではあります。
三島由紀夫はこのように、人によって様々な恐怖の対象があるというのは
自由の裏返しであるといいます。
即ち原爆や水爆や病気などというものは全人類共通の「恐怖」そのものであって
自由の余地はないけれども、
虫やら蟹やら石灯籠などというものは
自由に好みを選択するのと同じで、その人の個性そのものであると。
なるほど、今回の自作小説の課題で「恐怖」についていろいろ考えましたが、
一言で「恐怖」といっても漠然として、つかみどころが今一つありませんでしたが、
三島由紀夫の「恐怖」の解析は一理あると言わざるを得ません。
そういう風に「恐怖」は自由の裏返しといわれると、
今まで漠然とつかみどころなく恐れおののいていた「恐怖」が、
多少フレンドリーなものに思えてきたりするので不思議です。
あと三島由紀夫は人間は自由でありたいのと同時に、
100%の自由を恐れる気持ちを持っていると言います。
確かに人間は何かの寄りどころを求める部分があることは否めません。
その自由が犯される対象が、蟹とか蝶の模様とか石灯籠のようなものであれば、
自由のごく僅かな部分が犯されるだけであるので、
自由を十分に確保しながら、100%の自由に不安を抱くこともないので、
人間が社会生活を送るうえで、ちょうどバランスがいいというようなことを言います。
ただ100%の自由に対する不安も度が過ぎると、
自由を全て委ねてしまう結果にもなるので、要注意。
しかもそれは政治の選択において、よく起こると言います。
第一次大戦後、ドイツはハイパーインフレなど社会不安が増大し、
恐怖にかられた国民は頼もしげに国を引っ張ってくれるように見えたナチスに、
虫やら蟹やら石灯籠などというものは
自由に好みを選択するのと同じで、その人の個性そのものであると。
なるほど、今回の自作小説の課題で「恐怖」についていろいろ考えましたが、
一言で「恐怖」といっても漠然として、つかみどころが今一つありませんでしたが、
三島由紀夫の「恐怖」の解析は一理あると言わざるを得ません。
そういう風に「恐怖」は自由の裏返しといわれると、
今まで漠然とつかみどころなく恐れおののいていた「恐怖」が、
多少フレンドリーなものに思えてきたりするので不思議です。
あと三島由紀夫は人間は自由でありたいのと同時に、
100%の自由を恐れる気持ちを持っていると言います。
確かに人間は何かの寄りどころを求める部分があることは否めません。
その自由が犯される対象が、蟹とか蝶の模様とか石灯籠のようなものであれば、
自由のごく僅かな部分が犯されるだけであるので、
自由を十分に確保しながら、100%の自由に不安を抱くこともないので、
人間が社会生活を送るうえで、ちょうどバランスがいいというようなことを言います。
ただ100%の自由に対する不安も度が過ぎると、
自由を全て委ねてしまう結果にもなるので、要注意。
しかもそれは政治の選択において、よく起こると言います。
第一次大戦後、ドイツはハイパーインフレなど社会不安が増大し、
恐怖にかられた国民は頼もしげに国を引っ張ってくれるように見えたナチスに、
全権を委任してしまいました。
そういう例は今後も十分起こり得ることではあります。
三島由紀夫の、自由に対する人々の考え方感じ方に対する慧眼といえると思います。
なお、自分の好物の蜂の子の画像を添付しようと思いましたが、
一般的には、やはりグロテスクかなと思い、やめました(^_^;)
見たい方はいくらでも画像を拾えますのでどうぞ(^^;)
また残念ながら、本作品は青空文庫所蔵ではありませんが、
図書館にはほぼ所蔵されているようですし、
本屋でペラペラめくっても十分読めてしまう内容なので、
興味ある方はぜひお読みになってください。
そういう例は今後も十分起こり得ることではあります。
三島由紀夫の、自由に対する人々の考え方感じ方に対する慧眼といえると思います。
なお、自分の好物の蜂の子の画像を添付しようと思いましたが、
一般的には、やはりグロテスクかなと思い、やめました(^_^;)
見たい方はいくらでも画像を拾えますのでどうぞ(^^;)
また残念ながら、本作品は青空文庫所蔵ではありませんが、
図書館にはほぼ所蔵されているようですし、
本屋でペラペラめくっても十分読めてしまう内容なので、
興味ある方はぜひお読みになってください。