らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「不道徳教育講座」三島由紀夫

人間社会の普遍的価値とされるものに、真善美の3つがあるといわれています。

自分は今まで生きてきて、真と善には、ぼやっとではありますが、
それなりにイメージが湧いて話をすることもできます。

しかしながら、美というものには少々疎いところがあるんです。
なんとなく美を感じることはできるのですが、全く説明ができない。

例えて言うならば、料理の味を表現するのに、
おいしいおいしいと言うばかりで、
「舌の上に軽やかに乗った感触は、まったりとしながら、しかもしつこくなく、
じわじわと口の中に広がる味のハーモニーが…」
などという説明が全くできない(^_^;)

ですから今まで美に秀でているとされる作品は、意識的に記事を回避してきました。
作家でいえば川端康成谷崎潤一郎三島由紀夫というところです。

しかし三島由紀夫に関して、エッセイのようなものはイケるのではないかと最近気づきました。

そこで今回読んでみたのが三島由紀夫「不道徳教育講座」。

目次を見ますと、
「他人の失敗を笑うべし」「大いにウソをつくべし」「友達を裏切るべし」「罪は人になすりつけるべし」
という社会の倫理規範とは全く正反対な命題や、

「痴漢を歓迎すべし」「女から金を搾取すべし」など、
紹介した自分も彼の同調者と疑われ、身の危険を感じるようなものもあります(^^;)

しかしどの話も、自分の考えをごり押したり、冷たく言い放って、あとは御自由にと突き放すわけではなく、
あくまでもユーモラスに、かつ論理的説得的に、そして毒も必ず加えて、著述しており、
三島由紀夫の頭のキレを感じ、非常に興味深いところがあります。

例を2つほど、要約して挙げますと


「できるだけ自惚れよ」

謙遜ということはみのりのない果実である場合が多く、
又世間で謙遜な人とほめられているのはたいてい偽善者です。
「みのるほど頭の垂るる稲穂かな」などという偽善的格言がありますが、
みのればみのるほど頭が重たくなるから垂れて来るのが当たり前で、
これは本当は、「みのるゆえ頭の垂るる稲穂かな」と直したほうがいい。
高い地位に満足した人は、安心して謙遜を装うことができます。
(中略)自惚れ屋の長所は、見栄ん坊に比べて、ずっと哀れっぽくないことです。
見栄ん坊は、いつも自分の持っていないものを意識して、背伸びをしているわけですから、
自惚れ屋のようにカラッと行かず、ジメジメしているのです。
自惚れ屋は、何でもかんでも自分が持っていると信じているんだから、陽性です。
彼はウソつきではないのです。これに反して、謙遜な人というのはたいていウソつきです。


「謙遜」という社会一般に承認されている倫理規範を、まず冒頭で頭ごなしに否定し、
読者の注意を引きつけておいて、
その論拠を茶目っ気たっぷりに、すまし顔で述べています。

謙遜を讃える格言のつじつまのおかしいところを指摘したうえで、
世の中の謙遜している者の化けの皮を、その鋭い観察力洞察力により、すぱっと見事に剥いでいます。

その後も見栄ん坊との対比により、自惚れ屋の長所を浮き彫りにし、
自惚れというものは世間でいうほど悪いものではない、ということ及び、
世間で讃えられている謙遜というものこそ、むしろ注意しなければならないということを
明確に結論付けています。

ちょっと距離をおいて眺めると、??の部分なきにしもあらずですが、
文章を読んでいる時はいちいち、うんうんと肯かざるを得ない説得力があります。



「教師を内心バカにすべし」

学校の先生を内心バカにしないような生徒にろくな生徒はいない。
こう私は断言します。
しかしこの「内心」という言葉をよく吟味して下さい。
学校の先生と言うものは、乗り越えられなければならない存在なのです。
私自身の経験に照らしても、本当に、いかに生くべきか、という自分の問題は、
自分で考え、本を読んで考えた問題であって、先生にはほとんど教わらなかった。
先生という種族は、諸君の逢うあらゆる大人のなかで、一等手強くない大人なのです。
ここをまちがえてはいけない。
これから諸君が逢わねばならぬ大人は、最悪の教師の何万倍も手強いのです。
そう思ったら、教師をいたわって、内心バカにしつつ、知識だけは十分に吸い取ってやるがよろしい。


こちらも先ほどと同じようなことが言えますが、
必ずしも先生を冷淡に突き放して、本当にバカにしているわけではないんですよね。

一生懸命勉強しなさいということをいうために、
先生を「内心」バカにしなさいという話をその振りに利用しているだけで、
むしろ茶目っ気のある、入学式の来賓の祝辞か何かで言っても良さげな文章です。

他のものも大なり小なりこの2つの例のような感じで、
示唆に富んだものが多々あります。

残念ながら青空文庫所蔵ではありませんが、
図書館にはほぼ所蔵されているようですし、
本屋で気に入ったのだけペラペラめくっても十分読めてしまう内容なので、
興味ある方はぜひお読みください。


なお、蛇足ですが、
この本の中に「弱い者をいじめるべし」という、
ちょっとドキッとするような題名のものがあります。

書き出しを紹介しますと、

私がここで「弱い者」というのは、むしろ弱さをすっかり表に出して、
弱さを売り物にしている人間のことです。
その代表的なのが太宰治という小説家でありまして…


太宰治を名指しているため、その内容は太宰治を想像せざるを得ないものとなっています。

実は三島由紀夫太宰治の2人は実際会ったことがあるのです。
20代前半の若き三島由紀夫が、太宰治が死ぬ半年くらい前に、彼のもとを訪ねています。

その時の様子を文章にしているものもあって、
これがなかなか面白い。また紹介できればと思っています。