「愛撫」梶井基次郎
この作品、題名だけを見ると何か艶めかしい内容なのかと思いきや、
残念ながらそのようなものではありません(^_^;)
これは猫が大好きな梶井基次郎が、
これは猫が大好きな梶井基次郎が、
猫好きの読者にのみ贈る、猫好きファン限定の猫かわいがりの作品なのです。
それを題して「愛撫」というわけです。
なぜ猫好きファン限定かというと、
なぜ猫好きファン限定かというと、
ここに書かれている猫かわいがりの楽しさは、猫を飼っている人にしかわからない。
少なくとも犬しか飼ったことのない僕には実感としてわからなかった。
残念ながら、へぇー、そんなものなのかという想像が精一杯でした。
悔しかったら猫を飼って、かわいがってみろというわけです。
読んでいくと、梶井基次郎ってこんな茶目っ気ある人だったかなと、
残念ながら、へぇー、そんなものなのかという想像が精一杯でした。
悔しかったら猫を飼って、かわいがってみろというわけです。
読んでいくと、梶井基次郎ってこんな茶目っ気ある人だったかなと、
「檸檬」とその周辺しか知らない自分としては、
少し違う彼の一面を垣間見たような気もしました。
実はこの記事を掲載する前に、会社の猫好きな女の子にお昼時のよもや話で、
実はこの記事を掲載する前に、会社の猫好きな女の子にお昼時のよもや話で、
この作品のことを話したんです。
すると、途端に機関銃のように話が始まり、なかなか止まらず、
その様子を見て、あー、この作品は猫を猫かわいがりする人の急所をついているんだなあと確信しました。
猫の耳というものはまことに可笑しなものである。
薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛が生えていて、
裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。
猫の耳の様子について細かく観察描写した文章で始まり、
猫の耳をひっぱったり噛んだり、梶井基次郎さん、いろんなことをしています。
また猫に爪が無かったらということを妄想して、
また猫に爪が無かったらということを妄想して、
一人ほくそ笑み、またある時は猫の前足の独特の手触り感からヘンテコな夢を見たりする。
彼は猫で遊んでいる?いや、遊ばれているというべきでしょうか。
彼は猫で遊んでいる?いや、遊ばれているというべきでしょうか。
私はゴロッと仰向きに寝転んで、猫を顔の上へあげて来る。
二本の前足を掴んで来て、柔らかいその足の裏を、一つずつ私の眼蓋 にあてがう。
快い猫の重量。温かいその足の裏。
私の疲れた眼球には、しみじみとした、この世のものでない休息が伝わって来る。
お前はすぐ爪を立てるのだから。
自分も今度やってみよう(笑)