らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「桜」1 貧しき信徒より 八木重吉

自分の住む横浜では桜も満開になり、
すでにはらはらと桜の花びらも散り始めようとしています。

満開の桜というのは昼間は華やいだ雰囲気なのですが、
夜に見るとなんとも得体の知れない妖気を発しているような不思議な感覚があります。

梶井基次郎の作品に「桜の樹の下には」というのがあり、
その中に桜の花があんなにも見事に咲くのは、
桜の樹の下にはなにやらが埋まっているからだという下りがあり、
自分もあの夜桜のただならぬ妖気のようなものの正体の説明としては、
言い得て妙だと思っていました。

そんなわけで自分は、長い間、満開の桜の花というものに対して
それほどいい印象を持っておらず、むしろ妖しいものという認識でさえおりました。

しかし最近ふと目にした詩集に「桜」と題する詩が載っており、
それを読んで、心に何かが強烈に走りました。



「桜」



綺麗な桜の花をみていると
そのひとすじの気持ちにうたれる




「桜」に初めて目がふれた時、
心が共鳴してしばらく鳴り止みませんでした。
それは驚きであり、感動であり、羞恥であり、目の前がぱっと開けた思いであり、
一言では言い尽くし難い思いでした。

ああ、そうだったのか。
桜の咲くあの様子は妖気などというおどろおどろしいものじゃない。
あれは短い命をひとすじの気持ちで一途に生きている姿だったんだ。

桜がひとすじの気持ちで見事に咲き、ひとすじの気持ちで静かに散ってゆく。

八木重吉「桜」は自分を桜への誤った呪縛から解き放ってくれました。


今年の春は穏やかな、そして静かな気持ちで、
ひとすじの気持ちで生きる桜の様をいつまでも眺めていたいと思います。