らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】16 趙奢(ちょうしゃ)

趙奢(ちょうしゃ)は廉頗と同時期に活躍した武将です。
2人を比べると両方とも名将ではありますが、タイプが異なります。
野球の投手に例えれば廉頗は25勝13敗って感じの華のあるタフな豪腕投手、
趙奢は15勝3敗の地味ながら,クレバーな負け数の少ない確実に勝ちを計算できる投手というイメージです。

趙奢は元々徴税官でしたが、税金を払わなかった王族の有力者平原君の家を厳しく咎め
法に照らし主な家臣を死罪に処したことがあります。
趙奢は自分を殺そうとした平原君に怯むことなく理路整然反論し、
逆にその勇気と見識を認められるようになりました。

このエピソードから自分なりに趙奢像を解釈すると徴税官であったことから計数に明るく、
仕事ぶりは公正かつ厳格。
計数に明るいということは事象を客観化数値化できるわけですから,説明も自ずから理路整然となります。

趙奢の戦いぶりを記したものは閼与(あつよ)の戦いしか残っていません。
趙奢は
「閼与までの道は険しくて狭いと言いましても、
例えて言えば二匹のネズミが穴の中でケンカするようなものです。
武勇の優れた方が勝ちます。」
と説き、王は趙奢を大将に任じて閼与の救援に行かせました。
趙奢は防衛線を築いて進軍を止め、秦軍の油断を誘う策を講じました。
そしてそれを見計らった所で迅速に救援に向かい、戦場の要地をいち早く占拠し、
一気に攻撃をかけて秦軍を敗退に追い込みました。

このことから趙奢は地の利、兵の勢い、敵方の心理状態を現場で冷静に客観視でき、
絶えず状況が流動的な生き物のような戦場においてタイミングを逃すことなく実行することができる
戦場の「時」というものを知る武将といえます。
そういう意味では孫子に極めて似ているともいえます。


この他にも戦国策という書物に次のようなエピソードが伝えられています。
少数の兵にて奇略により活躍した田単という武将と話をした時、
趙奢がなぜ常に大軍をもって戦いに臨むのか理由を述べています。
それによると、
「国が小さい頃ならまだしも、国が大規模となった今日では
それ相当の大軍をもって戦いに挑まねば不十分な結果となる。
常に少数の兵で謀略と奇襲で勝てると思っているあなたは兵法に暗く時勢にも疎い。」
田単とて史記列伝に名を連ねる名将なのですが、これでは形無しですね。

自分は趙奢のこの部分を名将たる資質として最も重要なものと思っています。
即ち客観的に計ることができる兵力・兵器の多寡などにより戦の勝敗の予想をし、
主観的な兵の士気、現場での軍略、相手方の失策を織り込んで予想を立てない。
計数に明るい趙奢は、そのような主観的なものが生き物のように変化する戦場の現場では、
必ずしもあてにならないと考えていたに違いありません。

そういう意味では不足する物量を大和魂で補って戦おうとした旧日本軍などは、
趙奢的には軍略的に論外ということになるかもしれません。

考えてみれば今の世でも失敗する人ほど、客観的要素以外の主観的要素を過大に評価し
勝敗の予想、成功の可否を論じているような気がします。
そして失敗した時に言う言葉は
「こんなはずじゃなかった」「予想外の事情が起こってしまった」

そういう人は客観的要素の不足分を、勝手に過大評価した主観的要素で埋めあわせて
大丈夫と言ってしまっているのです。
このことは戦ばかりでなく、
現代における事業やら投資やら何かしら物事を為し遂げる任に就いている人などにも
広く当てはまるかもしれません。


さて趙奢の子の趙括は幼少より軍略を学び、
父も議論で言い負かすことができぬほどの才を現していましたが、
趙奢はそれを良しとしませんでした。
趙括の母が理由を尋ねると
「戦は常に生死の瀬戸際だ。なのに息子はそれを無造作に論じている。
息子が大将になったら我が国の軍を破滅させるに違いない」
果たして後年趙奢の予言通り、趙括は秦に大敗し、
数十万もの兵士を死なせる結果となりました。
趙括は計数に明るい頭のきれる部分は父趙奢に似るも、
生き物のような戦の「時」をつかみとる能力に欠け、趙奢はその事を見抜いていたのでしょう。

最後に、廉頗と趙奢どちらの下で戦いたいかと問われれば、
将軍に惚れ込んで死んでも構わないという心意気であれば廉頗、
戦に確実に勝って生き残って帰国しよう(無駄に死なない)というのであれば趙奢と思っています。

なお趙奢は戦の功により馬服君に任じられ、その子孫はその頭文字を取って馬氏を名乗りました。
後漢の功臣馬援及び三国志で有名な馬騰馬超はこの趙奢の末裔とされています。