らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】14 ノア 後編

続きです。

ノアが方舟を完成させてまもなく大洪水がやって来ます。
予め用意しておいた方舟に乗ったノアは洪水に押し流されることはありませんでしたが、他の人々は全て流されました。

自分は子供の時、ノアは洪水が押し寄せる直前、
どうして方舟に人々を乗せてやらなかったんだろうと思っていました。
神の教えに従わなかった人々だから助けなくてよいと思ったのかな?と。

でも今回の解釈の延長で考えるとノアが方舟に乗せなかったのでなく、
人々が方舟に乗れなかったのではないかと考えています。
すなわち信念に基づいて何かを成し遂げようと努めず、
時間の流れるままに生きてきた人々は、そのまま時間の波に飲まれて存在が無に帰してしまった。
信念に基づいて事を成し遂げたノアだけが、信念という方舟に乗ることで時間の波に押し流されることなく、
彼の生きた証を新しい世界に残すことができた。

ノアも肉体をもった人間であるならば葛藤があったはずです。
自分は本当に啓示を聞いたのだろうか、こんなことをして意味があるんだろうか、
もっと楽な生き方があるんじゃないだろうか、洪水なんて本当に来るんだろうか、
作っている途中で自分が死んだら無駄になるのではないだろうか等等。

自分が思うに、ノアの話をキリスト教のおとぎ話と捉えれば、
実になるところは極めて少なくなってしまいますが、
実際の人間の生き方と捉えれば深い叡智が含まれているように思います。

価値が多元化した今日での「方舟」つまり信念は、キリスト教の信仰に限られず人それぞれでしょう。
信念を貫くということはたやすくできるものではありません。
遅々として進まない事業、自分自身の迷い、他人の無理解・批判・嘲笑など
途中で挫折する要素は山のようにあります。
その度に自分を見つめ直して自己の信念が正しいか検証して再び進み始める。
これはノアが100年間箱船を作り続けたのと同じくらい困難なことであるかもしれません。

しかしあらゆる困難に打ち勝ち、それを成し遂げた者のみが、自らの全てを押し流してしまう洪水から身を守り、
自分の生きた証を残すことができるのだと思っています。


何年か前に欧米の調査チームが、ノアの箱船が地上に降り立ったといわれる
トルコのアララト山に箱船の残骸らしきものを発見したというニュースが報道されました。
どうもキリスト教徒の中では聖遺物的なものをありがたがる傾向にありますが、
自分的にはその存否はどちらでもよいと思っています。
箱船と思われる木片を煎じて飲むより、ノアの生き方に共鳴して信念を成し遂げる生き方をした方が
何百倍も価値があるものと思っています。