らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「神曲 地獄編」エピローグ その2 ダンテ

エマニュエル・スウェデンボルグ。

これが前回予告した、ダンテとは異なるユニークなあの世を展開した人物の名前です。

1688年スウェーデン生まれ。
ダンテより遅れること400年。日本では忠臣蔵暴れん坊将軍徳川吉宗と同じ時代に生きた人です。
自然科学、数学、物理、哲学、心理学に精通した理系畑の、ある意味万能の人。

スウェデンボルグが述べる地獄観とはずばり、地獄とは現世の悪業に対する罰として無理やり落とされる場所ではなく、地獄を好む者が自ら自由に選んでいく場所であるというところにあります。
まさに天動説が地動説に変更したがごとき発想の転換ではあります。

じゃあ悪人も自由に天国に入れるじゃないかと思ってしまいますが、そうはならないとスウェデンボルグは言います。
即ち本質的に利己的欲望を好む地獄の霊はそうでないところに居ても、彼の利己的本質ゆえ長く留まることができないとのことです。

そんな話聞いたことないという方もたくさんいらっしゃるでしょうが、子供の頃聞いた仏教の説話に実は似たような話があります。

地獄と極楽には実は同じ物が置いてある。
大皿の上の料理と何mもある長い箸。
地獄の亡者は自分だけがその料理を食べようとするが、箸が長くて永久に料理を食べることができず飢えて世を呪い続ける。
極楽の住民は向かいの人に長い箸を使って食べさせてあげるので、お互いに満ち足り飢えることはなく、また必要以上のものを貯め込むということもない。

同じ物が置いてあるのに一方は飢えて世を呪い、一方はお互いに満ち足りて安息を得る。
まさに本人の心持ちによって地獄にも極楽にもなる。
地獄の亡者は自分だけ食べることに固執し好んでいるから地獄に居続けるといえます。

彼は理系の頭を持つ人であり、言うこともいちいち合理的で、ダンテのようなカトリックの呪縛に縛られたところもありません。
ルネサンス以降の合理的思考の持ち主であり、その論理は説得力もあります。

特に自分は何か特定の大きな権威もしくは力みたいなものがあの世の居場所を決定してしまうという考え方よりも、自律に任されて自ら居場所を決定するという考え方の方が好きなんです(正しいかどうかはまた別問題ですけども)。

ちなみにスウェデンボルグは自分自身霊界に行って見てきたと言っています。

ひょっとしたらこの記事をきっかけに彼の本を読んでみようという人もいるかもしれません。

ある意味ノストラダムスのようなオカルト本として読む分には何の問題もありません。

ただ真面目に彼の言うことを全て実践しようとすることは少々毒気が強すぎて、人によっては過度にのめり込んでしまう危険もあります。

毒抜きに少し申し上げますと、スウェデンボルグは月人、火星人、金星人などの存在も別の著述に記しています。
要は正しいことも間違ったことも混然と頭の中にある普通の人間なんです。
ですから彼の言うことを全部正しいと決めてかかるととんでもない危険があるかもしれないということです。
それさえ頭の片隅に入れておけばエキセントリックな読み物として楽しめると思います。


さて、これで長々と連載してきたダンテ「神曲 地獄編」も今回で終了です。
実は「神曲」にはこの他に煉獄編、天国編もありますが、地獄編に比べると面白さ、インパクト、リアリティは今ひとつの観があります。やはり地獄編は現世で格好の素材が数多くあるからでしょうか。
とはいうものの歴史上の人物も大勢出てきますので、興味のある方はお読みになるとよいでしょう。