らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「神曲 地獄編」エピローグ その1 ダンテ

長かった地獄の旅もやっと終わりました。

地獄の世界を見て、皆さんはどう思われたでしょうか。
確かに悪鬼どもに様々な責め苦を受け、永劫に苦しみから逃れられない世界は恐ろしい。

しかし自分が思ったのは、少々へそ曲がりではありますが、きちんと秩序立ったなかなかいい世界じゃないかという感想です。
だってダンテの地獄は悪業を犯した者がその類型別に割り振られ、各圏に閉じ込められ自由に出入りできないんですよ。

それにひきかえ現世は第1~9圏までの地獄の亡者みたいな人間も好きなところを自由に行き来し、下手すると深い地獄に行くべき人間の方が社会的地位が高くて人々を支配していることさえあります。

どちらが地獄かといわれれば無秩序に全ての人間が混沌と存在している現世の方の気すらします。

だからこの混沌とした現世で清く正しく生き、悪いことに手を染めなかった人はあの世は楽勝ですよ。
自分より下の悪人は全部地下の地獄に封じ込まれちゃってるんですから。

ではダンテみたいな地獄は本当にあるんでしょうか?

英国の高名な科学者ホーキング博士は「あの世というものは存在しない。人間が作り出したものに過ぎない。」と発言し物議を醸しました。

自分が考えるに、親しい人間の死んだばかりの静かに眠っているような顔をじっと見ると、やはりどうしても存在が無しになってしまったとは思えないんです。
どこかでその人の思い、人によっては霊というかもしれません、がふわふわ存在していて一緒にいるというか、そんな気がする時もあります。

もともとあの世の発想というのはそんな素朴な死者への追悼みたいな気持ちから始まったと思うんです。
数万年前地球に生きたネアンデルタール人の子どもと思われる骨が以前発掘されましたが、同時に大量の花粉が一緒に発見されました。
これは子どもが死んだ時死体とともに花をいっぱい敷き詰めて葬ったからだと言われています。
おそらくネアンデルタール人も自分と同じようなことを考えたのかもしれません。
これは死体を野ざらしにして放置する動物とは違う人間固有の「進化」だと自分は思っています。

そのように最初素朴だったあの世が人間社会が進み、様々な権力やら権威がそれを利用し人々を支配する道具とすることで、おどろおどろしい巨大な地獄もしくは特定の宗教を信じ権威の支配に服し、お布施した者だけが入れる会員制のごとき天国が作られたのだと思っています。

そしてその最たるあの世のひとつの形がダンテ「神曲」の地獄ではないかと考えています。

ではどうしてこと細かにダンテの「地獄」のことを記事にしたのか?

プロローグにも述べましたが、地獄の描写というものは作者の死生観やら歴史的背景が如実に現れて、その作者がどういうことを考えて生きた人なのか大変良くわかるんです。
今回のダンテ「神曲」でも今から700年前の欧州人がどんなことを考えていたか新たな発見も多々ありました。

ですから現在の世界中の人々に「地獄の世界はどのような構造になっているのか」と質問すれば、それぞれの文化的背景及び人となりから様々な地獄が表現されると思います。
地獄観はその人間を知る格好の命題なんです。
ひょっとしたら自分自身に問いかけてみて、地獄の構造を整理してみると今まで明確に意識してなかった自分自身に対する発見もあるかもしれません。
一度試しに為さってみてはいかがでしょうか。


次回ダンテとは全く異なるあの世について述べた人物について少し書きたいと思います。
なかなかユニークな考え方なので面白いと感じる方もいらっしゃると思います。