らんどくなんでもかんでもR

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「神曲 地獄編」中世ヨーロッパの倫理観 ダンテ

残りの地獄について述べる前に、今までいろいろ地獄を見てきましたが、どうして地獄がこの順番なんだろうと疑問に思ったりしたことはなかったでしょうか。

これは700年前のダンテの時代の中世ヨーロッパの倫理観が今とは異なることから生じたものと思われます。
当時倫理規範とされていたのはカトリックの教義の他には主にアリストテレスなどの古代ギリシア倫理学だったようです。

それによると天が許さない性質には自制できないこと、残虐、悪意の3つの性質がありますが、欺瞞や裏切りなどの悪意は人間に特有のことなので(自制できないこと、残虐は動物でもなし得る)特に人間社会において倫理に著しく反すると評価されていたようです。

現在我々が寄って立つ倫理観はたかだか数百年のもので、それ以前は現在と異なる倫理観が支配していたのです。
そのような目でみるとダンテ「神曲」の地獄の順番も、自制できない→残虐→悪意の順に理路整然と並べられていることがわかります。

まとめると
自制できないと評価されるのが
第一圏(辺獄)未洗礼者、第二圏愛欲者、第三圏貪食者、第四圏貪欲者、第五圏憤怒者。

残虐と評価されるのが
第七圏暴力者

悪意と評価されるのが
第八圏欺瞞(ぎまん)者、第九圏裏切者

自分的に少しわからないのが第六圏の異端者です。
正統な神に対する裏切りという視点として見れば第九圏に属していてもおかしくありません。
また自制できないというのもニュアンスがやや違うような気がします。
ダンテ自身、堕落した天使と重罪人が収容されるデュースの要塞の下に位置する第六圏に異端者を置いていることから自制できないとは評価していなかったと思います。

といって残虐かというと第七圏暴力者とは異質な感じです。
ただ異端を信じるということは精神的残虐行為としたのかもしれません(第七圏は肉体的残虐行為)。
そうだとしても欺瞞、裏切りという精神的なものを最終の地獄に配置しているのに、精神的残虐の異端を肉体的残虐より軽くしていることとのバランスが悪いような気がします。

案外単純にダンテの意識としてだいたいこの辺りかなという当時の常識的感覚だったのかもしれません。
第六圏については新しく考えたことがあればまた追加します。

まあとにかく、このように古代ギリシア倫理学をベースに、全体をローマカトリックの教義で覆って作り上げた世界がダンテ「神曲」の世界だといえるでしょう。
非常におおまかではありますけども。

そうすると現在の倫理観で「神曲」を描くとどのような世界になるのか考えるとちょっと興味深いところではあります。


それでは残りの地獄については次の記事で述べます。