【閑話休題】今回の病気でもろもろ思ったこと2
続きです。
夏目漱石や樋口一葉、正岡子規と同じように、自分の寿命があと2年ほどであるとしたら何をするか?
英語やベトナム語の教材を買いつつあったのですが、
そのような習得に年単位かかる活動は、もうおそらくすることはできないと思いました。
その他新たな習い事や海外旅行といったものもまず無理だろうと思いました。
できるのは、おそらく自分の書きかけたブログの記事を書くこと。
自分の思った事、感じた事を少しでも書き留めることぐらいしかない。
そう思うと文章を綴るということは、人間が最後の最後までできる人間らしい行為なのではないかと思いました。
日本人には、辞世の句という習慣もありましたし、そういう感が民族的に強いものなのかもしれません。
あとは自分の身の回りの始末をしなければいけませんから、
病気と闘いながらであれば、それぐらいで1年2年はあっという間に過ぎてしまうと思いました。
それにしても、新しいことに挑戦できない苦しさと悔しさ。
今まで自分はルーティンに時間をかけ過ぎたちょっと後悔しました。
もっと自分でしか踏み出す事ができない創造的な何かをやるべきだった。
日々の糧を得るためとはいえ、ルーティンに埋もれた日々を後悔しました。
また時間がある時にやればいいや、後回しにすればいいやと思って、やらなかった事が何とたくさんあったことか。
会いたい人には会いたい、やりたいことはやりたい、行きたいところには行きたい。
嫌いなものはどうでもいい、やり過ごせばいい。
なぜそのようなシンプルな思考がもっと出来なかったのか。
そんなに割り切って人生生きられないよと言うかもしれませんが、
それはこれから20年30年生きられると思っている人が吐く台詞で、
1年2年しか生きられないとなれば、 そう考えざるを得ない思いざるを得ないものです。
幸いにも結核は陰性であり、医者が言っていた肺の影らしき部分も癌ではないということで、
死は自分の意識から遠ざかっていきました。
ですから今自分は、40℃を超える高熱の中で朧気に後悔の念を感じてやれていなかった事を、全てすることができるわけです。
しかしながら人間というのは自堕落なもので、苦しかった時のことをすぐ忘れてしまう生き物です。
ですから、まだ苦しかった時の感覚が体に残ってるうちに、その思いを書き留めようと思い立ってこれを書いているわけです。
ある意味、前の記事で書いた、あの世らしきビジョンを見たということよりも、
1年2年しか生きられない場合、自分はどう生きるべきかというビジョンを見た事の方が、
遥かに意義のあることだったのかもしれません。
夏目漱石臨終の数時間前の様子
漱石は49歳で亡くなりました。