らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「ヴェロニカ」遠藤周作 教科書名短篇より





この物語に登場するルオーの「ヴェロニカ」。

ある画廊で、赤いベレー帽をかぶった女性が、
ずっと熱心に取りつかれたように見つめていた絵画。

茨の冠をかぶせられ、苦痛と苦しみに耐えるキリストが、
何かを訴えるような眼差しで、こちらを見つめているこの作品。

遠藤周作は自らキリスト教者であることから、
キリスト教関連の作品を数多く書いた作家です。
近時公開された映画「silence 」の原作「沈黙」など最も知られたものでしょうか。


ヴェロニカは、聖書の逸話に登場する聖女の名前であり、
重い十字架を背負ってゴルゴダの丘に歩いてゆくキリストに、
群衆の罵声、兵士の制止をものともせず、駆け寄り、
エスの血や唾、汗のついた顔を布でぬぐってやったところ、
その布にはキリストの悲しげな表情がそのまま写し出されたという話が伝わっています。
ルオーの「ヴェロニカ」とは、その布を描いた作品だったのです。


それでは、著者はヴェロニカの何に感ずるところがあったのか。

著者は言います。

「彼女は別にこのキリストがどういう人であるのか知らなかった。
それでいいのです。
ただ、その時、この女の心には胸のしめつけられるような烈しい憐憫の情が溢れてきた。
その感情はもはや周囲の人々の罵声や兵士たちの暴力や妨害をこえて、
この苦しんだ男に手を差しのべた。それでいいのです。」

つまりは、目の前で苦しんでいる人に手を差しのべ、
その苦しみをやわらげてやる。
それは何よりも尊いものなのだということ。

そういう意味では、先の「無名の人」において、
司馬遼太郎が、その作中で、
まず人は自分の目の前にあるものを救うために全力で生きるべきなのだ。
と言ったことと重なります。

まず目の前にあるものに何かを感じ、それに対し自分の為しうる何かをする。
その大切さを説いているところで、2つは共通しています。

この作品は最後に、第二次大戦時、
負傷したドイツ軍兵士に憐れみを覚え、かくまった結果、
そのドイツ兵もろとも、リンチを受けて命を失ったフランス人女性の慈愛の心を、
現代のヴェロニカと讃えることで、この作品の締めとしています。


しかしながら、同じ遠藤周作作品「沈黙」では、主人公の宣教師ロドリゴは、
自己の信仰を守るのか、自らの踏み絵により過酷な拷問に耐える人々を救うべきなのか、
悶々と悩んだ挙げ句、踏み絵を選択し、
最後、脱け殻のようになってしまった姿が描かれています。

この作品「ヴェロニカ」の主題からすれば、
「沈黙」のロドリゴはもっと楽に選択があってもよかったのではないかと思わないではないですが、
これは信仰とは何か、信仰を棄てるとはどういうことなのか、
少々考察を必要とするところがありますので、
またの機会に譲りたいと思います。
自分なりに思うところはありますけれども。

ご存命でしたら、遠藤周作さんに直接聞いてみたかった質問でもあります。