らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「カインの末裔」エピローグ 有島武郎





先日「カインの末裔」の記事を書きましたが、
作者の有島武郎について、今日ではあまり語られることがないので少々述べようと思います。

有島武郎(1878~1923)は旧薩摩藩士の子として生まれました。
父は北海道の土地を払い下げられた大地主であり、武郎自身北海道に在住していますので、
この時に見た北海道の自然や小作人の様子が、「カインの末裔」を書くのに大いに参考になったようです。
なお作中、主人公が自分の雇い主である大地主の家を訪れる場面がありますが、
それは武郎自身の家の様子であったのかもしれません。

その後札幌農学校に進学し、キリスト教の洗礼を受けました。
札幌農学校といえば「少年よ大志を抱け」のクラーク博士で有名ですが、
武郎自身は直接教えを受けているわけではありませんが、
クラークの教え子の新渡戸稲造内村鑑三とは交流があったようです。
小説の題名や内容にキリスト教的素養が見られるのはこの時の体験によるものでしょう。

米国留学帰国後に本格的に作家活動を開始し、
志賀直哉武者小路実篤らとともに白樺派として活動しました。

父の死後小作人に土地を分け与え自作農にするなどの活動もしており、
小作人が「カインの末裔」の主人公のような流浪の人生を送らないよう、自ら実践をした人でもありました。

ただ思うように作品が書けず、断筆宣言をするなど悩みも深かったようです。
その頃妻と死に別れ、あるいは寂しかったのかもしれませんが、
人妻と不倫関係になり、その夫から脅迫を受けるなど更なる悩みを抱える日々を悶々と送りました。

そして45歳の時に軽井沢の別荘で首吊り心中を遂げます。
1ヶ月後に遺体は発見されますが、その時は夏で相当腐乱が進んでおり、
発見当初は人相や性別もわからぬほどで、
天井からぶら下がった二本の縊死体の上を床まで滝のように蛆虫が湧き、
屋外まで溢れかえっていたとのことです。

武郎のこの末路を知った時、遺体のあまりに残酷な情景が目に浮かびかなりショックでしたし、
もうひとつ思ったのは、小説のラストで住むところを追われ、
あてもなく身ひとつでさまよう主人公の姿が、武郎そのものと重なって仕方ありませんでした。

カインの末裔」たる無知な人間の悲劇を自ら書きながら、
小説の無教養で粗野な主人公と異なり、教養も学問もキリスト教的信仰も財産もあったはずなのに、
最もみじめで残酷な「カインの末裔」のごとき末路を歩んでしまった皮肉。
ある意味、小説の主人公以上に悲惨な末路を歩んでしまった武郎の人生の結末に、
ため息をつかざるを得ませんでした。

なお武郎の遺書には「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた」と残されており

辞世の歌は

修禅する
人のごとくに
世にそむき
静かに恋の
門にのぞまん


これを少女趣味と酷評する向きもあります。
そこまでは申しませんが、確かに多分にセンチメンタルな印象は受けます。
武郎はいわゆる「いいところ」の子息ですから、
よく言えば優しい、悪く言えば線の細いところがあったのかもしれません。

自殺の経緯などから彼の知り合いなどは総スカンの様相ですが、
少なくとも彼は口先だけの徒ではなく、実践も試みた人なので、そこは評価しなければと思っています。