「枕草子」6 宮中編 清少納言
枕草子はどのようにして世に生まれ出ずることになったのでしょうか。
最後の段に、それが綴られています。
322段
この草子は、私の目に見え、心に思うことを、
おそらく人の目には止まるまいと思って、
退屈で、うら寂しい里に下がっている間に書き集めたものですが、
ひょんなことから、思いもかけず世に出てしまったものです。
そもそも、この草子を書くきっかけは、
中宮定子様に紙が献上された時のこと、
「これに何を書いたらよろしいでしょう。
帝は、史記という書物を書き写していらっしゃるそうですけれども。」
などとおっしゃられたので、
私は、
「やはり枕でございましょう。」
と申し上げたところ、
定子様が、
「それでは、これは、そなたに差し上げよう。」
とおっしゃって、下さったものなのです。
史記は、前漢の司馬遷が記した、
古代中国を生きた人物の様々な人生を描いた歴史書です。
それに匹敵するようなものとして、
清少納言は、物事、自然、人々、そしてその心の中の様々について、
感じるがままに書き尽くそうと考えたのかもしれません。
さて、このような清少納言と定子との出会いですが、
清少納言は、時の関白藤原道隆から見込まれて、
宮中にて道隆の娘定子に仕えるようになります。
この時、定子17歳、清少納言27歳でした。
清少納言は歌人の父から、
幼い頃より和歌や男性の教養たる漢詩をみっちり教え込まれており、
そんな風変わりで、機知に富んだ勝ち気な彼女を、
定子は大層気に入り、
清少納言も、歳こそ10歳下であるものの、
姉のように定子を慕い、仕えていたようです。
その様子は枕草子の端々にも記されています。
ところが、それから僅か2年後、定子の父道隆が死去。
道隆の弟の道長が関白になったことで、運命が変転し始めます。
定子の兄弟の政治的失脚、母の死など不幸が続き、暗くなる一方の定子の宮中に、
明るくさっぱりとした性格で、勝ち気な、男性とも堂々とやりあえる清少納言の存在は、
定子にとっても頼もしく、明るい光を与えるものであったことでしょう。
しかし、そのような時、
あろうことか、清少納言が道長方と通じているという噂が流れ、
彼女は宮中を退去し、里に引き籠る日々を送るようになります。
そんな時に起こったエピソードが枕草子に残されています。
262段
私は、
「世の中のことが腹立たしく、いらいらして、
どこでもいいからどこかに行ってしまいたいと思う時に、
とても白くて綺麗な紙や上等の筆などが手に入ると、この上なく気持ちが慰められて、
何はともあれ、しばらくは生きていてもいいなと思うことができます。」
と申し上げると、
中宮様は
「あまり大したことがないことで慰められるのですね。」とお笑いになられた。
それからしばらくして、
心から深く思い悩むことがあって(いわゆる道長方への内通の疑い)、
里に下がって悶々としていた時、
中宮様が素晴らしい紙20枚を包んで、私に贈ってくださった。
添えてあった手紙には、
「早く参上しなさい。
この紙は、いつぞやの話を思い出して送ったものです。
あまり上等な紙ではないですけれども。」
と書いておられて、
本人さえ忘れてしまっていたことを、覚えておいでになられたので、
嬉しいやら、びっくりするやら、
気持ちが動転してしまって、ご返事の仕様もないので、
ただ、
「畏れ多くも頂いた紙のお陰で、
鶴のように千年も長生きができそうな心地です。」
と書いて、ご返事を差し上げたのでした。
枕草子を書くきっかけとなった中宮定子との交流は、
心を通じ合う、誠のふれあいであったと感じます。
あの有名な枕草子の香炉峰の雪の段、
雪のいと高う降りたるを
例ならず御格子まゐりて
炭びつに火おこして
物語などして集まりさぶらうに
少納言よ
香炉峰の雪いかならむと仰せらるれば
御格子上げさせて
御簾を高く上げたれば
笑はせたまふ。
雪がたいそう高く積もっており
いつもと違って御格子を下ろして、
炭びつに火をつけて、
皆でおしゃべりをしていたときのこと。
定子様が、
「清少納言よ、香炉峰の雪はどんなでしょうか。」
とおっしゃるので、
私は御格子を上げさせて、
御簾を高くあげたところ、
定子様はにこりとお笑いになられました。
これは清少納言が白楽天の詩の一節を知っていたという自慢話などではなく、
定子と全てを言葉で交わさずとも、
お互いのハートが通じ合っていたというエピソードではなかったかと
感じるところがあります。
しかし、その後数年して、定子は産後の肥立ちが悪く、24歳の若さで他界します。
清少納言と定子とのつきあいは7年ほどのものにしか過ぎませんでした。
その後、ほどなく清少納言も宮中を去り、里で静かに暮らしたと伝えられています。
そして、その時に、定子との宮中の生活を思い返して、
枕草子を書き上げたといわれています。
いみじくも清少納言の言葉通り、
中宮定子から贈られた紙に書き綴った、彼女の枕の言葉は、
千年経った今もなお、
鶴のように長く生き続けて我々の目に触れているのは、とても感慨深いことに思います。