「枕草子」7 〇〇なもの編 清少納言
ただただ過ぎてゆくもの
帆をかけた舟
人の齢
春夏秋冬
明日から12月です。
早いもので、今年もあと1ヶ月となりました。
枕草子、最後の記事は〇〇なもの。
自分はなぜ枕草子に魅力を感じるのか。
源氏物語は誰でも書けるというものではないが、枕草子は誰にでも書ける。
といったら語弊があるでしょうか。
枕草子はその内容を読んで覚えるものではありません。
まして並べられているものを暗記するものなどでもない。
春は何々、夏は何々、うつくしきもの、心ときめきするもの、花は何々、雪は何々、
様々に書き綴られた清少納言の感性に刺激を受けて、
インスピレーションを得ながら、
自分だったら何だろうと感性を広げていく。
そんな素材となるべきものだと自分は捉えています。
だまされたと思って、一度ご自身で、おやりになってみるとよいかと思います。
一通り並べ終わって、自分自身の枕草子が完成した時、
今までとは、世の中が少し異なって見えるはずです。
ごく当たり前に何気なく自分が接してきたものが、
より彩りをもって自分の前に姿を表し、
今まで霞みのようにぼやっとしていた自分の心の形が、
すさまじきもの、にくきもの、心ときめきするもの、おぼつかなきもの、たとしえなきもの、
近うて遠きもの、遠くて近きもの、ただ過ぎに過ぐるもの、うれしきもの。
鳥は、虫は、滝は、川は、里は、草は、草の花は、
森は、原は、寺は、湯は、雪は、日は、月は、星は、雲は。
枕草子には感性の素材が山のようにあります。
単に作品として優れているというだけではなく、
人の数だけ様々な枕草子が、幾百幾千と生まれる可能性がある。
それが枕草子の真の魅力なのだと感じています。
物事に感ずるということはとても素晴らしいことです。
感ずるとは、一瞬にして自分を変える魅力、そのような力をもっています。
枕草子は「をかし」の文学と言われています。
「をかし」とは趣深いとか風情があると一般的には訳されますが、
自分なりに、その意味を咀嚼しますと、
見つける、発見するというニュアンスを含んでいるように感じます。
ですから、皆さんも、自身の「をかし」を見つけて発見していただき、
それに出会った時に生じる、心に何か電気が走るような感覚を、
ぜひ味わって書き留めていただけたらと思います。
貴(あて)なるもの
うす色に白かさねの汗衫
雁の子
削り氷に甘づら入れて
あたらしき金鋺に入れたる
水晶の数珠
藤の花
梅の花に雪の降りかかりたる
いみじう美しき稚児の苺などくひたる