らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【絵画】国立近代美術館所蔵作品展「MOMATコレクション」後編








安田靫彦展に続いて見て参りました
国立近代美術館所蔵作品展「MOMATコレクション」後編です。



小倉遊亀「浴女」





なにげに見ると安田靫彦の作品かなと思ってしまいます。
それもそのはず、彼女は安田靫彦の弟子だったそうです。
それにしても絵のタッチが非常に似ています。
それ以上に、若い浴女を描いたにもかかわらず、性的なものをさほど感じず、
楚々とした清涼感を感じさせるのは、まさに師匠譲りといえるでしょう。

そして、この作品、女性よりも、浴槽の真水の透明な清らかさに思わず目が入ってしまいます。
メインに配置したものより、それ以外の対象に目が入ってしまうのは、
師匠安田靫彦の「羅浮仙」「伏見の茶亭」といった作品に通ずるところがあるように感じます。






菱田春草は前に、その代表作「落葉」を見に行ったことがあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/14748558.html?type=folderlist
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/14755447.html?type=folderlist


ところで、安田靫彦は中国の故事にちなんでいくつか作品を描いていますが、
その凝縮度は日本の歴史のものに比べると、今一歩のような気がします。





こちらは安田靫彦の「王昭君」ですが、
王昭君と説明されなければ、誰だかわからないところがあります。
それに比べると菱田春草の「王昭君」は作品を見ただけで、
彼女がどのような物語をもった女性なのかわかる説得力を持っています。

王昭君とは、中国漢の元帝の時代、運命のいたずらにより、
匈奴の王へ嫁すことになった悲劇の美女のことです。

この作品は北方の蛮族に嫁する王昭君とそれを見送る後宮の女性たち描いたもの。

感じるのは、しんみりとした静けさ。
まるで冬の日差しが窓から弱々しく降りてくるような。
どんよりとはしていない、むしろ軽やかともいえる画面の明るさが、
却ってその悲しみを増しているようにも感じます。

そのはっきりしない、ぼうっと霞んだような世界は、
北方の辺境に嫁がなければならない自分の運命が、
夢なのかうつつなのかという彼女の心情を映し出しているようにも感じます。

これは。線描を用いない「朦朧体」といわれる画法であり、当時画期的な技術であったそうです。
描く方に疎い自分にとってはその有り難みが今一つピンとこないのですが、
その道の人にとっては大変なことだそうで、
そういう意味では、玄人好みの作品といえるのかもしれません。





三木富雄「EAR」





これを見た瞬間、前日晩ごはんで食べた鶏のレバー煮を想像してしまいました(^_^;)






セザンヌ「大きな花束」





明治から昭和にわたる様々な日本の画家たちの作品を見た後、
最後あたりで、この作品を見たのですが、
見た瞬間、パッと自分の心奥に入ってきました。

セザンヌの絵は際立った華があります。ダイナミックさがあります。
色の配置と構図の絶妙なバランスがあります。
それは、その日に見た、どの日本人画家の作品にも感じられなかったものです。
俺はこう描く。といったオリジナルをもった芸術家の大胆な自信とでもいいましょうか。
さすがといわざるをえないところかあります。

しかし、このセザンヌの作品、ごく最近購入したものだそうですが、20億にしたそうです。
高いと感じますか、安いと感じますか(^_^;)




以上で、自分が国立近代美術館で見た絵画の記事は終わりです。
いかがだったでしょうか。
作品に興味を持っていただけたり、
ちょっと見に行ってみようかと思われたならば、それはとても嬉しいことですね。