らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「梅にうぐいす」北大路魯山人

 

 

世の中、グルメブームといわれて久しく、
ブログなどの記事を見ても、何を食べに行ったとか、何を食べたというような、
グルメの記事がいつも場を賑わしています。

自分は・・・といいますと、
いつもご飯に赤味噌汁、ぬか漬に焼き魚がベースですので、
なかなかグルメものの記事を書くことがありません(^_^;)

ただ、唯一の例外が、旅行に行った時でして、
その時だけは惜しみなく、そのご当地の名物を食べるようにしています。
(参考記事)米沢で米沢牛のステーキを食べた話
 http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/10694375.html
しかし、それとてグルメそのものの話とは言い難いかもしれません。

そこで、その代わりといってはなんですが、
今年は食通として知られる北大路魯山人のエッセイなどをいくつか読んでみようと思っています。

皆さん、北大路魯山人をご存知でしょうか。




美食家であり、陶芸家・書道家・漆芸家・料理家などの様々な顔を持っていた人物で、
漫画「美味しんぼ」の海原雄山は彼がモデルともいわれています。

一読すると、明らかに今流りのグルメのエッセイとは一線を画することがわかります。
筆者は、料理というものを、いわゆる、美味しい不味い、そして、その蘊蓄を語るだけでなく、
その根本に根ざすものを見出だそうとしているように感じます。
すなわち、料理とは芸術、もっといえば、人間そのものに根ざすものであり、
料理を追究することは、人間そのものを究めることに通じるものだと主張している。

この文章は、そういうことを感じ取ることに疎い女流歌人を、
ちょっと小馬鹿にした、ややもすると、その接し方に大人気ないと感じてしまうところもありますが、
物事を陳腐にしているのは、
繰り返し題材にされてきた対象ではなく、
その対象を陳腐だと思い込む人間の鈍い感性なのだ。
うぐいすと梅のように、長年取り合わせて来られたものというのは、
お互いに調和しているからこそ、長い間取り合わせて来られたのであって、
調和しているものというのは、常に新しい力を発しているものである。
その新しい魅力を引き出すことこそが、真の芸術家が為しうべきことなのであり、
それは、ありきたりと思われている食材の取り合わせから、
新しい魅力ある味を引き出す料理人についても同じである。
という、誠に正鵠を射た芸術論を展開しています。

食というものの捉え方には、人間の他の芸術の分野にも通ずるところがあり、
自分も感覚的に共鳴するところがあります。

実は、その他にも、いくつか感ずるところもあり、
それらについては北大路魯山人の作品を読み進めていくごとに、
ちょっとずつ書いてゆこうと思っています。

ちょっと風変わりなグルメ記事になりそうですが、
楽しい記事を心がけようと思っていますので、お楽しみにしていてください。