らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「人でなしの恋」江戸川乱歩












19歳の京子は、地元の名士の家に嫁入りをする。
夫は資産家の美青年で、京子にとって、それは世の妬みを買うほどの恵まれた縁組みだった。

京子はそのような夫に愛され、有頂天となるが、
半年ほどして、京子はその愛がまやかしであることに気づき始める。

京子は、夜な夜な夫が籠る土蔵の二階をこっそり窺うと、
そこで、夫と女との睦言を耳にしてしまう。

「このような逢瀬をつづけていては、あたし、あなたの奥様にすみませんわね。」
「私もそれを思わぬではないが。
いつもいって聞かせる通り、私はもうできるだけのことをして、
あの京子を愛しようと努めたのだけれど、悲しいことには、それがやっぱりだめなのだ。
若い時から馴染みを重ねたお前のことが、
どう思い返しても、思い返しても、私にはあきらめかねるのだ。
京子にはお詫びのしようもないほどすまぬけれど、
すまないすまないと思いながら、
やっぱり、私はこうして、夜毎にお前の顔を見ないではいられぬのだ。
どうか私の切ない心のうちを察しておくれ。」
「嬉しうございます。あなたのような美しいかたに、あのご立派な奥様をさしおいて、
それほどに思っていただくとは、私はまあ、なんという果報者でしょう。
嬉しうございますわ。」


不審に思った京子は、夫の不在中、土蔵に忍び込む。

そこで見たものとは・・・


「やがてふと気がつくと、長持の一方の側に、三尺以上もある大きな箱があるのです。
その表にはお家流で「拝領」としるされています。
なんであろうと、そっと取り出して、それを開いて中の物をみますと、
ハッと何かの気に打たれて、私は思わず顔をそむけたのでございます。
浮世人形というもので、身の丈三尺あまり、10歳ばかりの小児の大きさで、
手足は完全にでき、頭には昔風の島田を結った娘人形なのです。
その人形を見ましたときには、ふっくらと恰好よくふくらんだ乳のあたりが、呼吸をして、
今にも唇がほころびそうで、そのあまりの生々しさに、私はハッと身震いしたほどでございました。」



自己愛。
彼の人形愛は自己愛の裏返しに過ぎないのかもしれません。

人間同士の心というものは、完全にぴったりと合わさることは、まずあり得ません。
むしろ、合わない方が常態であるといえるでしょう。

それは人の形がそれぞれ違うように、心の形もそれぞれ違うので、
全く同じ人間が存在しない以上、心が完全に合致しないというのは、むしろ自然な姿だともいえます。

しかし、「人でない」恋は別です。
人でない、人の意思を持たないものに対する思いは、100%自分の思いが望み通りに叶う。
そういうものに身を委ねていると、
次第に、生きた人間とのコミュニケーションが億劫になっていき、
自分の望みを常に全て叶えてくれる対象にのめり込んで行くことになる。

この物語で、最後に、夫はバラバラなった人形にうつ伏すように自死して果てます。

たかが人形ぐらいでなどと思うかもしれません。
しかし、その人形は、自らの自己愛のすべてを注ぎ込んだ自分そのものだったのです。
自分自身の注ぎ口を失った夫は、「生き」どころが無くなり自死した。


現代人は、この夫のことを笑うことができるでしょうか。
生身の人間とのコミュニケーションを煩わしく思い、
自分の意に沿うものにのみ自らの心を注ぎ込む人々。
自分の意に沿わなければ、リセットし、より意に沿うものに乗り換える。
潔癖、いや、ひ弱というべきでしょうか。
さらに現代は逃げ込むことができる仮想空間のようなものがいくらでもあります。
残念ながら「人でない」恋をする人はこれから増え続けるのかもしれません。



「人でなしの恋、この世のほかの恋でございます。
そのような恋をするものは、一方では、生きた人間では味わうことのできない、悪夢のような、

或いはまたおとぎ話のような、不思議な歓楽に魂をしびらせながら、
しかしまた一方では、絶え間なき罪の呵責に責められて、

どうかしてその地獄を逃れたいと、あせりもがくものでございます。」


江戸川乱歩は、作品の描写からは、
自死した夫に対して、嫌悪感のようなものは抱いていないように思います。

この作品は、人はそれぞれ違うのは当たり前で、それを認め合ったうえで、逞しく生きて行こう。
というような前向きなメッセージというよりは、
どうしても自分の心地よいものに引き寄せられ、閉じ籠ってしまう人間の弱さ、愚かしさ、
そのおぞましいものの中に潜む哀しさ、ある種の純粋さといったものを感じさせるところがあります。


「現世は夢 夜の夢こそまこと」
と色紙に好んで書いたという江戸川乱歩

おぞましさと純粋さとが表裏一体になって混在する、
夢うつつのような、まさに江戸川乱歩の独特の美意識の世界。

それは、人間の、自分自身ですら無意識の内の、深い心の淵にあるものを垣間見た、
そのようなものなのかもしれません。








江戸川乱歩 肖像



この作品は青空文庫収録ではありません。
しかし、図書館などで比較的容易に入手可能であると思われますので、
よろしかったら読んでみてください。