らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【映画】ヘルタースケルター

 

 


 
昨年劇場公開された時に、あの沢尻エリカさん主演で、
巷でもかなり話題になった映画です。


完璧な容姿で絶大な人気も持つ、ファッションモデルりりこ。
だが、彼女は全身整形という重大な秘密を抱えていた。
そして、りりこは、整形手術の後遺症や芸能界の過度なストレスにより、
次第に精神を蝕まれ、どん底に堕ちていく…

というストーリーなんですが、
原作の漫画は未読です。

普通はあまり見ない類の映画なんですが、
たまたま行ったネットカフェで無料配信されており、
今回見る機会がありました。

テーマは、人の美しさとは何か。
ということにあるのかなと思います。

劇中「強さが美人を作るんじゃない。美人が強さを作るのよ。」
というセリフがあります。
確かにちょっとしたワンポイントでも、
人の雰囲気というものはかなり変わったりします。
例えば二重瞼にしたりするだけでも…
それによって自分に自身をもつことができ、
見える世界が変わるようになれば、
それはそれで結構なことです。

しかし次に困難が立ちはだかった時も、
更に形を変えれば、前と同様事態が好転するのではないかと
思ったり、信じてしまう、すがってしまうのが、人の心の弱いところです。
一度その深みにハマってしまうと、もう止められなくなる。

劇中の主人公はまさにその深みにハマり、
次から次へと整形を繰り返してゆくうちに、
心が荒れ果て、破滅に向かってゆきます。

では人の美しさとは何か。

自分は、人の美しさとは、
本来その人がもつ歪みにある。と感じています。

歪みとは個性ともいえますが、
ここではあえて歪みといっておきます。

人は歪みがあるからこそ、
そこから無限の個性、無限の可能性を、
引き出すことができるものです。
歪みがない、シンメトリー(左右対称)という形は、
出入口のない形のように感じます。
ある意味、それは完成された形ともいえますが、
歪みという出入口がないために、自分自身の中から何かを出すことも、外の世界から新しきものを入れることもできない
いわば完全に密閉された形です。

歪みがなくなったら、人はどうなってしまうのか。
歪みを無くした人は、人間から遠ざかってゆきます。
遠ざかって、神に近づくのか、モノに近づいてゆくのか、
それは自分にはわかりません。

神に近づくなら結構なことではないかと言うかもしれませんが、
歴史の経験則上、神になろうとした人間で、
おそらくそれを果たせた者はおらず、
そのほとんどが想像できないほどの孤独です。

モノに近づいてゆくなら、それはやがて人々に飽きられ、
顧みられることがなくなってゆき、やはり孤独な存在になります。

つまりどちらにしても歪みのない人間は、
出入口の塞がれた孤独な存在なのだと感じます。

人間というのは、心のやりとりを糧として生きているため、
心の出入口のない形では幸福になることができないように思います。

ですから人間は心でしっかりと呼吸し、生きるためにも、
自分の持つ歪みというものを、
きちんと捉えねばなりません。

歪みとは、自分自身の存在を支えて、豊かにしてくれる、かけがえのないものです。
歪みのある、一見整っていない形が、
実は、人間の最も完成された調和の形であるといえるのかもしれません。

焼き物に織部焼というものがあります。

安土桃山時代の武将古田織部が始めたものですが、
陶器を焼く時に自然にで色や形の歪みをこよなく愛でるものです。





 
 
 


自分は陶芸のド素人ですので、偉そうなことはいえませんが、
織部焼は人間そのものを愛でることに通じているようにも思います。

偶然できた形、色というものは
二度と同じように、人工的に造り出すことができません。
いわば、それは、世界にひとつしかない歪みといえるものです。
つまり、その歪みからしか感じ得られないものがあるということです。

人はそういう歪みの良さを見切ることができる、
目利きにならなくてはなりません。

芸術作品というのは、ある意味、人間の歪みの産物です。
歪んでいるからこそ世界に二つとない素晴らしい芸術となるのです。
二流の芸術は、どこか何かに他のものに似せているので、力を感じません。
つまり自己の歪みの見極めが足りないのです。

また、オートメーションで作られるモノは、歪みというものがありません。
歪みなきゆえ機能的ですし、便利ではあります。
が、しかし唯一無二のものではなく、
いくらでも同じものを造り出せるものです。

この映画の主人公に施された全身整形は、
ある意味、オートメーションのモノと同じです。
つまり代わりは他にもいくらでも存在し、
古くなったら捨てられてしまう存在です。

唯一無二の自分自身の歪みを捨ててしまった
主人公の末路はある意味、象徴的に感じます。

この映画のテーマは、かなり根源的にも捉えられるものですが、
制作者の意図がどの程度までのものかは、
正直、見ていてわからないところがあります。

映画では性的な刺激的な場面ばかりクローズアップされて、
少々気の毒なところもあります。

主演の沢尻エリカさんは、自分はその演技は初見だったのですが、
主人公りりこに成りきっており、沢尻エリカを感じることはなく、
なかなか演技に力を持っているように感じました。

残念ながら最優秀主演女優賞を受賞することはできなかったようですが、
世を賑わせた、ふてくされた部分は微塵も感じず、
彼女の全力を感じましたね。
いい演技だったと思います。