らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】18 八木登美子「もうひとつのひとすじの桜 ある詩人の妻の物 語」中編

登美子のもとには長男陽二だけが残されました。

登美子の生きる力は全て陽二に注がれました。

日曜も出勤しなければならない10年勤めていた百貨店を思い切って退職し、転職。
休みの日は陽二と一緒にいるようにしました。
二人で一緒に映画に行ったり、食事をしたり、クラシックのレコードを聴いたりして過ごしました。

陽二もまた姉の桃子に似て、心優しい少年でした。

陽二が姉桃子が死んだ時に作った詩を紹介します。

「陽二の詩」

ねえさん僕はうれしいよ
病気の中でもしたがきを書いてくれた心持。
ふだんもやさしいねえさんが
どうしてくるしみ死ねましょう。
ねえさんみんなにかわいがられ
死んだ後にもほめられて
ねえさんほんもうわれうれし。
くる人くる人ねえさんの
てがらばなしでうずもれる
かげにききいるわたくしは
うれしさあまり泣きました。
ねえさん死んだ其の顔は
信仰もって居たせいか
ほほえみ顔でありました。
ねえさんごめんねゆるしてよ
かそうばの中へいれちゃって
さぞかしあつうでございましょう。
ねえさんいつもにこやかに
きもちのよい時わらってた
かあさんよろこびゃ、ねえさんも
いっしょにえがおをしていたね。
ねえさんえらいよ世界一
やさしいきれいなねえさんよ。



しかし桃子が亡くなってやっと落ち着いてきた2年後、
今度は陽二が体調を崩します。
診断の結果はまたもや結核

そして思わぬ早さで不幸が現実のものになります。
陽二はある日、いきなり大喀血し、あっという間に息を引き取りました。
享年15歳。

病状の進行具合からみて、
彼は母が気づく前に病の兆候を察しながら、
心配かけまいと隠していたんではないかなと、ふと思ったりします。
この年頃の男の子にはそういうところがありますから。
これは全く自分の想像ですけれども…

ちなみに先ほどご紹介した姉を慕う詩は、
彼の死後、彼の持ち物を整理していた時に、
母登美子が見つけたものだそうです。


「神はその人に耐えられない試練を絶対に与えない」

よくキリスト教会の説教で言われることです。

しかし登美子の半生を見ていると、とても軽々しくそんなことはいえないものがあります。

詩人として花開こうとしている夫を失い、
10年懸命に頑張ってきて、やっと大人びてきた娘を失い、
心を尽くして接してきた最後に残された息子も命を奪われる。

登美子は家族全員と死に別れ、独りぼっちになってしまいました。

もし同じことが自分の身に降りかかったら、
どうなってしまうのか想像もできない出来事の数々。

ひたむきに生きてきた登美子も、
とうとう全身の力が抜けて倒れ込んでしまいました。
長い間張り詰めていた心の弦がぷつりと切れてしまったように、うつろな日が続きました。

無理もありません。

登美子の孤独感をよく表していると思われる、一文があります。

「帰りの汽車に乗ってから、私は不意に柏の家を見たいというおもいに駆られた。
そうして途中下車をすると、あれからもう十数年も会っていない柏の里へ急いだ。
おそらく住む人もみなかわっているであろう一群の家を見ながら、ぼんやりと佇んでいた。」



続く