らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】18 八木登美子「もうひとつのひとすじの桜 ある詩人の妻の物語」前編



八木重吉結核でこの世を去った時、
残された妻登美子は22歳の若さでした。

重吉が亡くなった直後は、さすがに魂の抜けたようになり、
放心状態で動くことさえできませんでしたが、
遺された二児をしっかりと育てなくてはならないと自覚し、再び立ち上がりました。

重吉の葬式後、実母と相談して池袋の小さな貸家に家族で移り住むことになります。
最初は親戚の家に間借りしていたのですが、
いつまでも甘えるわけにはいかないという決意の上のことでした。

まだ子供が小さいので、勤めに出ることはせず、
家の土間を利用して、母と小さなおもちゃ屋を開きながら、
洋裁学校に通って、手に職をつけ、
自ら問屋の下請をしている家を探して、縫い仕事などを貰ってきました。

しかし、それも大した収入にならなかったことから、
仕方なく新しくできた百貨店の主任に頼み込んで店員にしてもらいます。
おそらく当時は既婚女性を雇ってくれるところは、
ほとんど無かったのでしょう。

勤めは朝9時から夜9時までの長時間勤務でした。

全く将来が見えない、その日その日がかろうじて無事終わったことを、
ホッとするような毎日であったと思います。

そんな彼女を励ましたのは、亡き重吉の詩であったと本人は言います。





朝眼を醒まして
自分のからだの弱いこと
妻のこと子供達の行末のことをかんがえ
ぼろぼろと涙が出てとまらなかった


夫重吉はこんなにも私や子供達のことを考えながら逝ったのだ、
と思うと胸がいっぱいになったと回想しています。

そこには、どうして先に死んでしまったのかとか、もう疲れ果ててしまったというような
登美子の言葉は、全く見受けられません。

「桃子と陽二は成人するまで
必ず一所に育ててもらい度い」
「二人を人間として
よき人間に育ててくれ
頼む」

重吉が死の直前にノートに書き綴った、詩ともつぶやきとも遺言とも似つかぬ言葉を胸に、
無我夢中で必死に生きていた…というのが実情ではないかと思います。


登美子が百貨店から急いで家に帰っても、夜9時過ぎになるので、
幼い陽二はもう寝てしまっていました。
しかし、2つ年上の桃子は母の足音を待って、毎晩じっと起きていました。
おそらく桃子が7歳か、8歳の頃であると思います。

長じて桃子が13歳となった時、書いた作文が残っています。


お母様 1年3組 八木桃子


夜の九時半といえば、此の辺はひっそりとしずまりかえって、
時々人々の足音が聞こえるだけ。
もうお母様のお帰りになる頃だ、私は耳をすまして、
お母様の足音を聞こうとして、待ちつづけている。
お父様のお亡くなりになった時、お母様は未だ二十三歳(数え年)のお若い頃、
今年で丁度十年目だといいます。
(中略)朝の九時から夜の九時迄、十二時間のお務は、
普通ゆりお弱いお母様のお体には随分無理なので、
時々御病気になって、五日、一週間と床についておしまいになります。
とてもお疲れになって淋しいお顔を見る時、
私は早く大きくなって、いつもお母様のおっしゃる、優しくて強い人になり、
御安心して頂きたいとお祈り致します。
(後略)


桃子は学校で「桃子さんの絵には詩がありますね」と誉められ、
長じてくるに従い重吉に面影も似てくるなど、
母登美子を助ける頼もしい存在になりつつありました。

その頃になると陽二も成長し、親子3人背が同じ高さになり、
三人兄弟のようだといわれたこともあったそうです。

登美子は2人が幼子の頃から必死に頑張ってきましたから、
2人の成長を何よりも嬉しく頼もしく思ったことでしょう。

ずっと厚い雲間に閉ざされてきた八木家に、
10年経って、やっと一筋の光が差し込んだ思いであったでしょう。

しかし、闇はまた突然やってきました。

桃子が中学2年生になると、咳が止まらず、
診察を受けると重吉の命を奪ったのと同じ結核との診断。
即入院の宣告でしたが、お金もなく、頼んだ先にはみな断られ、
泣く泣く自宅療養するほかはありませんでした。

日に日に色が白く、咳が多くなり、その年の年末、眠るように息を引き取りました。
登美子は死に逝く愛娘桃子を見守ることしかできませんでした。

享年14歳。



桃子


つかれて帰えってきたらば
家の方からひらひら桃子がとんできた
赤いきものを着て
両手をうんとひろげながらそっくりかえって
ぷつぷつぷつぷつ独りっこをいいながらやってきた
わたしのむねへ
もも子がころころ赤くうつるようなきがした



明けた正月は、すでに桃子は花に囲まれた遺影となり、
残された者だけの淋しいうつろな正月となりました。


しかし登美子の苦難の人生はこれだけにとどまりませんでした。


 
 
 
続く