らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「耳無芳一の話」小泉八雲 おまけ話





平清盛が平治の乱で実権を握って20年で清盛が死去し、
その5年後、壇ノ浦の戦いにて平家は滅亡しました。

平家が栄華を極めたのは、たかだか二十数年間。
例えて言うなら、21世紀になり実権を握って、
今年くらいに一族全滅してしまうくらいの期間です。
本当にあっけない儚いものに感じます。
まさに花の露のごとし。

そして平家が壇ノ浦で海の藻屑と消えた30年後、
源氏は一族同士討ちにより滅亡。

その後ろ盾であった北条氏も、一時栄華を極めるも、
壇ノ浦から150年後に、孤立無援で鎌倉を敵に攻められ、
東勝寺にて一族数百人集団自決。

つまり、今、大河ドラマ「平清盛」で覇を競っている平家、源氏、北条氏は、
時期に差こそあれ、その直系血族は、
ほとんど死に絶えたことになります。

それでは、そのうち、平家ばかりが怨霊やら怨念と言われて、
「耳無し芳一」のような話が創作されているのはなぜなんでしょう。

源氏や北条氏の亡霊武者が出てくる物語というのは、
あまり聞いたことがありません。

源氏なら、源実朝あたりが和歌に長けた歌人の前に亡霊として現れる話くらい
あっても良さげのような気がします。

北条氏は、とにもかくにも150年間天下の覇者だったんだから、
怨霊やら怨念といったものにはならないんでは?
とおっしゃる方もいるかもしれませんが、
150年栄え、その間、子孫が増えた分だけ、
最後に、女子供も含め、その全員が集団自殺しているのですから、
捉えようによっては平家より悲惨で、
怨霊や怨念という話があってもおかしくありません。


自分は、その違いは、
それぞれの最期の遂げ方によるものではないかと考えています。

源氏は、ある意味、秘密裏に一族が次々暗殺され、
その惨劇が闇に葬られた感じであり、
北条氏も鎌倉の市街からやや距離のある、
山の中の要塞のような寺で全滅し、
一般の民衆は、栄華を誇った人々の、
変わり果てた姿というのを目にすることはなかったでしょう。

それに対して平家一族は、
壇ノ浦で、舟から海へ次々と入水して果てました。
入水といっても全員が全員、海の底に沈むわけではありません。
海流や潮の流れにより、今の山口県や対岸の福岡県に、
入水した平家の面々の死体が打ち上げられても、
不思議ではありません。
入水した数は数百人にも及びますから、
それこそ、浜に、高貴な身なりや風貌の人々の死体が、
数多く打ち上げられたと思われます。

その打ち上げられた数々の男や女の死体を、
沿岸の民衆は必ず目にしたことでしょう。

「また平家の仏さんが打ち上げられたよ。
宮中に仕えるような高貴な女の仏さんで…」

というような話を、里に帰って、したのかもしれません。

そういう話をしているうちに、
人々の間で、栄華を極めた平家に対する同情や無常感、
はたまた、あれだけ栄華を誇った人々が、
あんな惨めな死に姿になってしまったのだから、
その怨念たるや相当なものだろうという人々の思いが、
「耳無し芳一」の話の原型を作ったのではないかと。


小泉八雲の妻である節子は、島根県の出雲出身で、
自分が見聞きした伝承や説話を八雲に伝え、
それを元に独自のイマジネーションを働かせて
「怪談」を書いたと言われます。

出雲は壇ノ浦のすぐ近くの下関と、
北前の海路による流通も、かなり大規模にあり、
そのような伝承・説話も、たくさん耳にしたことでしょう。

要は、栄華を誇った平家の無惨な死に姿を直接目にした人々の、
生(なま)の思いが集まって、
「耳無し芳一」という話を創り出したのだと、自分は思っています。