らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【自作】「夏の夜の音」






時は平成三十年八月夜。
窓を閉め切ると外の世界の音はほとんど聞こえない。
しかし、しばらくすると、かすかにポンポンと花火の上がる音がする。
どこで花火を上げているのだろうと窓を開けると、
途端にむわっと蒸した空気が室内に流れ込んでくる。
辺りを見渡すも、花火は音ばかりでその姿を見ることはできない。

なんでも今日は鎌倉の方で花火大会が行われているそうで、
湘南の海風に乗り、花火の音が聞こえてきたのだろうか。
同じ風に乗って、少し離れた横須賀線の往来する音が聞こえる。

外では時を惜しむように降りそそぐ蝉しぐれ
花火の音が聞こえなくなると、辺りは蝉しぐれの音だけになり途端に寂しくなる。

他の家は窓を閉め切っているからだろうか。人の声は全く聞こえない。
耳を澄ますとエアコンの室外機の音。

いつのまにか、自分の足元に猫が居て
同じように網戸の向こうの外の音に聞き入っている。

夏の夜いつまでも続く蝉時雨と室外機の音に、窓を閉めて就寝。





正岡子規の「夏の夜の音」に倣って、自分の「夏の夜の音」を書いてみました。

子規から120年経った現代の夏の夜というのは、人間の音がほとんど無いんです。
これはちょっと驚きでした。
この日は35℃を超える真夏日で、夜も熱帯夜でしたから、
冷房のついた、完全に窓を閉め切った空間で、みんな過ごしていたのでしょう。

現代の空間は、温度が涼しく保たれ、
プライバシーが完全に守られた快適な空間と言えます。

子規の明治時代に比べ、夏の夜の暑さに窓を開け放って涼を取るということも、
また住居も気密性に優れていることから、
板一枚向こうの人々の会話が聞こえるということも無くなりました。

しかし、人間が生きている息づかいの聞こえない社会というのは、
やっぱりちょっと寂しい気もします。


子規の作品と読み比べていただくと、 明治と平成の世の「夏の夜の音」の違い、
そして、子規の文章がいかにシンプルで優れているか、わかっていただけるかと思います。
自分の文章はちょっと色がついた情緒的な感じですね。
それはそれで良いのですけれども。