らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「夏の夜の音」正岡子規







正岡子規は三十歳になる直前、結核菌が脊椎を冒す脊椎カリエスと診断され、
以後床に伏す事が多くなり、
やがて臀部や背中に穴が開き、膿が流れ出るようになり、
数年後の明治32年夏頃には、ほぼ寝返りも打てない寝たきりの状態になりました。

しかし、そのような病状の中、子規は麻痺剤で痛みを和らげながら、
俳句や随筆を書き続けました。
この「夏の夜の音」はその頃に記したものです。

もう自由に立ったり座ったりすることはできない子規は、
寝ながらにして夏の夜の市井の気配を感じるしかありません。

「我は横に臥したる体を少しもたげながら片手に頭を支え、片手に蚊を打つに余念無し。」
冒頭のこのくだりは、
のんびり夏の夜の音に聞き入っていることを感じさせるための、
子規特有のがいな(伊予弁で)強がりといえるかもしれません。

しかしながら、子規が病床の中で聞き取ったそれは、
病人ということを感じさせるところが微塵もなく、
いや、聞き取った子規の存在を通り抜けて、
読む者に、明治の世の東京の下町の夏の夜の匂いを感じさせるものに満ち満ちています。

板塀の向こうで主婦達のするおしゃべりの声、隣の家人が行水をする音、
子供たちが道で鼠花火をする様子や
上野駅から汽車が発車してゆく音など生き生きと蘇ってきて、
子規のその筆力に驚かざるを得ません。




午後十時より十一時迄

下り列車通る。
単行の汽鑵車、笛を鳴らし鳴らし、
今度は下つて往た。
間も無く上り列車が来た。
上野停車場の構内で、汽鑵車が湯を吐きながら進行を始める音が聞える。
蛙の声が次第に高くなる。
遠くに犬が頻りに吠える。
門前の犬吠え出す。
又水汲みに来た。
東隣では雨戸をしめる。
又星が見えると独りごち給ふ。
戸締りの音

蚊帳を釣り寝に就く




凝った表現は特段見当たらず、
むしろ淡々と情景を写実的に書き写した感のある文章。
ただ俳人である子規の文章は、非常にリズミカルで小気味がいい。

現代、Instagramなどで夏の夜の風景などの映像がたくさんアップされていますが、
最新の機器による映像でも表現することのできない、
文字の力をもってのみでしか感じることのできない、
下町に住む人達の夏の夜の息遣いというものが、確かにそこにあります。








子規の病床からの風景
子規庵は復元され今も当時のままに現存しています。