らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「ああしんど」池田蕉園






明治の世、この家の曾祖母が飼っていた猫の「三(さん)」は、
18年も生きている老猫でしたが、
冬にこたつの上で丸くなって寝ていたところ、
伸びをして、「ああしんど」と言ったところから、
それを聞いた家族がびっくりしたというお話。

猫がしゃべったのを聞いた曾祖母は、びっくりして、
この猫はきっと化けるに違いないと、捨てようと思ったのですが、
何度捨てても帰って来てしまいます。
祖父(つまり曾祖母の息子)は、
「猫が口を利くから、怖くって怖くって、仕方がなかった。」と言って、
年を取ってからも、猫は大嫌いだと公言していましたが、
今の世であれば、猫が喋ったからといって、
捨てようとしたり、忌み嫌ったりということは、まず無いでしょう。

現代は昔と違って、異形を愛でるといいますか、偏見がないといいますか、
ファンタジーを楽しむ余裕があるといいますか、怖いもの知らずといいますか、
そんなところがあります。
むしろ猫が喋ったら喜ぶ人は多いんではないでしょうか。
自分もその一人ですが、もしランスが喋ったら、
どんなことを言うんだろうと、とても興味があります。







同じペットである犬でも同じことが言えるのですが、
犬というのは一途に人間を慕ってくれる動物ですから、
ある意味、ベクトルが一定方向と言いますか、
なんとなく言いたいことはわかるような気がします。

しかし猫は、犬と違って人間に対する接し方がちょっと違う。
ベクトルが一定方向ではなく、いつも一途に慕ってくれるというわけではない。
そっぽを向いて、つれない態度をとることも多々あります。
自分一人(一匹?)の世界を大事に持っていて、何ものにも侵されない。
これが人間の想像力を掻き立てる所があって、
ある時、ぷいっと横を向いて行ってしまうと、
あれ、どうしてなんだろう?と、人は色々もやもやと想像するわけです。
それが人間から見る猫の表情を豊かにしているところがある。
そのように思います。


それにしても、この文章の舞台は大阪なのですが、
猫が大阪弁をしゃべるのは面白い。
まあ、おそらく飼い主から口伝てに人間の言葉を覚えるわけですから、
大阪弁の飼い主からは大阪弁名古屋弁の飼い主からは名古屋弁の猫になるんでしょうけれども。
名古屋弁はみゃーみゃー言うといわれていますから、
猫にはなじみやすい言葉かもしれません(笑)







さて、この文章を書いた池田蕉園。

実は、明治から大正にかけて活躍した女流画家で、
京都の上村松園、東京の池田蕉園、大阪の島成園と並んで、 
当時を代表する女性画家「三園」として評判を取ったそうです。
彼女は31歳で亡くなってしまいますけれども、
この人の人生、特に恋愛模様を眺めると、ちょっと面白い話に行き当たります。
その話はいずれまた。







池田蕉園「愛猫」



青空文庫「ああしんど」池田蕉園
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