らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【映画】千と千尋の神隠し 前編



 

宮崎駿作品で、何が一番好きかというようなアンケートをすると、
上位にくるのは「もののけ姫」「となりのトトロ」辺りのようです。

しかしながら、宮崎駿作品で、自分のイチ押しは「千と千尋の神隠し」なんです。

ご存知の方が多いとは思いますが、簡単にあらすじを紹介しますと、

10歳の少女千尋(ちひろ)は、引っ込み思案で内弁慶な女の子。
自分の意志をはっきり言えない、もじもじとした印象の少女です。

ある夏の日、千尋は両親と引越し先の町に向かいますが、
千尋の、引越先の新しい世界でうまくやってゆく自信のない、物憂げな表情が印象的です。

ところが、それが、偶然な、ひょんなきっかけから、
神隠しにあってしまったような不思議な世界を、垣間見ることになるのですが、
最初に両親と一緒に迷い込んだ屋台の料理がすごく美味しそうなんです。
台湾あたりの屋台っぽい雰囲気ですけど(行ったことはありませんが)、
屋台に山積みにしてある料理って、なんであんなに美味しそうなんでしょうね(^_^;)

両親はこれらの料理を勝手に食べてしまいますが、
それらの料理は神々をもてなすものであったため、
両親は呪いをかけられ、豚にされてしまいます。

ヘンテコな世界に一人放り出された千尋は、
ハクという、キリッとした大きく澄んだ瞳が印象的な少年に助けられます。
実は、自分はこのハクにそっくりなんです(笑)。

謎の少年ハクに導かれ、千尋は八百万の神々が集う湯屋油屋(あぶらや)で働くことになります。

この世界では働かない者は生きていけない…
というようなことを、ハクが言いますけれども、
ここでいう「働く」とはどういう意味でしょう。

山本有三「路傍の石」という小説に、主人公の少年に、年老いた職工が次のように言う描写があります。
「働くっていうのは端(ハタ)を楽(ラク)にすることなのさ」

「千と千尋の神隠し」の中での「働く」というのも、ほぼ同じ意味ではないかと思っています。

湯屋の元締めの湯婆婆は、千尋を雇う際に、
「お前みたいな、半人前の甘ったれの泣き虫には、千尋なんて名前はもったいない。千で十分さ。」
というようなことを言いますが、
要は、それまでの千尋は自分のことばかりにかまけて、
ハタをラクにすることなど、思いも及ばなかった。
湯婆婆の、もの言いは厳しいですけど、正鵠を射ています。

この湯婆婆がかなり強烈なキャラなんですが、
その下で、千尋は両親を救うために必死で油屋で働きます。

蜘蛛のように見た目は奇怪ですが優しい釜爺、
口は悪いが面倒見がいい先輩リンなど
見た目や性格の当たりからは、今までの千尋だったら敬遠してしまったかもしれない人々とも
夢中で接して働いているうちに、次第に千尋は、他人を思いやる、
いわゆるハタをラクにしてゆく力を養っていきます。

もちろん、実社会と同じで、千尋に好意的で優しい人々ばかりではありません。

ある日、油屋にやってきたヘドロのような、臭くて誰もが嫌がる、腐れ神の接客を押し付けられます。
しかし千尋は腐れ神の臭さや汚さも気にもせず、キレイにしてあげようと必死に努めます。
その腐れ神の中から現れた霊験あらたかな河の神。
河の神が天空に飛んでゆく姿は、溜まっていたものが全部すこーんと抜けたような、
もうこれ以上ないくらい、気持ちよさげな表情をしています。

またカオナシ(顔無し)というキャラもなかなか味があります。
誰からも相手にされない、顔(カオ)のない、つまり意思のない、存在感の薄いカオナシも
千尋の優しさにほだされ、千尋の相方のように常にそばにいるようになります。
劇中では千尋の歓心を買おうと、暴れたり、はた迷惑な部分はありますけれども(^_^;)

かくいう自分も、仕事で夜遅くまで残業して、帰りの電車に乗っている時は、
カオナシみたいな表情ですね。
 




ちょっと長くなったので、この辺りで。