【人物列伝】6 老子 エピローグ
前後編の書き残しを少々記そうと思います。
前回、欲望を最大限追求していく社会の仕組みに慣れた人類が、
前回、欲望を最大限追求していく社会の仕組みに慣れた人類が、
うって変わって老子が唱える社会に転換できるかというと
自然の法則という緩やかな流れに身を委ねるのは損するんじゃないか、
相手に征服されるんじゃないかという意識がどうしても勝ってしまうので、
行き着くところまで行き着いたら人類が滅亡してしまうのではないかというところにあります。
それをどうしたら切り抜けられるかは、
それをどうしたら切り抜けられるかは、
後編で述べたように、欲望を貫き通し危機的状況を強行突破するというもの。
非常に難しい問題です。
後編を書いた時点で読んでくれる方に、自分なりの結論を出そうといろいろ考えましたが、
と言って記事を終えるのは簡単なんですけども。
総論的にはそれでいいとしても、
総論的にはそれでいいとしても、
例えば自然の法則に反するような、無理に生命を延ばす臓器移植などは絶対反対といえるでしょうか。
限りある資源を守り人類が生き延びるため余分な生産を避け品不足に理解を。
限りある資源を守り人類が生き延びるため余分な生産を避け品不足に理解を。
といって理解が得られるでしょうか。
また限りある資源を守るためエネルギーを節約しましょう。
また限りある資源を守るためエネルギーを節約しましょう。
といっても例えば日本で使用しているエネルギーを半分にできるでしょうか。
日本でできるとしても世界規模になるとどうでしょうか。
危機から救う方法がわかっていても全人類的に実行することが極めて難しい。
となると老子の言葉に戻ってしまいます。
「千里の行は足下より始まる」
千里の道も一歩から
個々人ができることをそれぞれできることを始めることを、第一歩とするしかないのかもしれません。
老子についてはご意見をいただいたり、自分で調べて新しい発見があったら、
危機から救う方法がわかっていても全人類的に実行することが極めて難しい。
となると老子の言葉に戻ってしまいます。
「千里の行は足下より始まる」
千里の道も一歩から
個々人ができることをそれぞれできることを始めることを、第一歩とするしかないのかもしれません。
老子についてはご意見をいただいたり、自分で調べて新しい発見があったら、
其の自ら生ぜざるを以ってなり。故に能く長生す」
天は長大であり地は悠久である。
その理由は、天地が自ら生きよう生きようとしないからである。
それゆえ天地は永遠なのである。
天は長大であり地は悠久である。
その理由は、天地が自ら生きよう生きようとしないからである。
それゆえ天地は永遠なのである。