らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【絵画・美術】フェルメール展 2








フェルメールの部屋に入るなり、
がっついてなるべく間近で作品を見ようとした自分ですが、
それを制するように背中を引っ張ってAさんが一言。

フェルメールはいきなりパーツごとを細かく刻んで見るような作品じゃないよ。
まず一歩引いて全体を見なきゃ。」

これはフェルメールに限らず芸術全体にも言えることかもしれません。
日本人というのは分析好きですから、
どこがああだとか、あそこがこうなっているとか
パーツを分析して鑑賞する傾向にあります。
しかし、まず大きくその作品を捉えて全体から発せられるものを感じる。

フェルメールの作品というのは全体を見ると、
小さな室内を対象としているにもかかわらず、奥行きがとても広いんです。






そして、そこに、見る者の視線がすっと入ってゆく一本の筋みたいなものがある。








それに比べると、同時代の他の画家の作品は平面的なんです。
全体的に細かく丁寧に描かれているんですが、
それがかえってペタッと平面的で奥行の無さを生んでしまっている。






Aさんは下の作品を見て一言。
「後ろの絵の額描き込み過ぎ(笑)」





人間の視線というのは客観的に全部を捉えているようでいて、
実は主観的で、見たいものははっきりと見えているが、
そうではないものは、ぼやっと見えている。

フェルメールの描く背景の絵の額は、くっきりとは描かれておらず、
心持ちボヤっと描かれてますでしょ。

フェルメールは、その人間の視点の限界というものをよく知っていて、
それがきちんと描き分けられている。
そういうわけで、絵を見る者の視線は、画家のリアルな視線と自然と同化することができ、
その体験、印象を共有することができるのだと感じます。







フェルメール「マルタとマルタの家のキリスト」


フェルメール唯一の宗教画です。

エスはマルタとマリアという姉妹の家に招待された。
マルタはイエスをもてなすため、忙しく働いている。
一方で、マリアは座り込んだままイエスの言葉に耳を傾け、働こうとしない。
マリアをなじるマルタに対し、イエスはこう言った。
「マルタ。あなたは多くのことに心を配り、思いわずらっている。
しかし、大切なことは1つしかない。そしてマリアはそれを選んだのだ。」
という逸話に関するもの。

いい話です。


フェルメールの部屋の一番最初の壁に掛けてあった作品ですが、
彼もこんなに大きな作品を書くんだと驚きました。
至近で見るとわかりませんが、ちょっと離れて全体を見渡すと、
まず最初にパッと目に入るのが一番手前でひざまずいている妹のマルタ。
そして次に後ろの姉マリア。
正直イエスは一番影が薄い(^_^;)
窓から光の当たらない一番奥の影のところにいます。

A さん曰く、
「この絵でフェルメールが一番きちんと描きたかったのは手前の女の子だと思う。
一番光が当たって丁寧に書かれてる。
エスは完全に脇にそれてる。左肘の部分が切れちゃってるし笑
絵的にはもうちょっと右に寄って、イエスを全部収めてもよかったのに、
フェルメールはそれをしなかった。」

あー、なるほどそこは気づかなかった。
なんとなくイエスの影が薄いとは感じていましたが。

Aさんは言います。
「古い時代の宗教画だと、イエスは真ん中にいて、
人々はそれのまわりにいて崇める感じばかりだから、
絵的にワンパターンであまり好きじゃない。
でもフェルメールのこういう構図はすごく面白いと思う。」

そして、最後に一言。
フェルメールの描く女性は本当に魅力的で素敵 。男性が魅力的なのはレンブラント。」

















なるほど。なるほど。



続きます。