らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【閑話休題】スマホ故障狂騒曲2






スマホの出現で大きく変わったこと。
それは何でもその場ですぐ検索できるということです。

スマホやパソコンがない時代では、何か調べものをしようとする時には、
図書館に行って調べるしかありませんでした。
しかし、それは非常に手間暇がかかるため、
基本的な知識は頭の中に暗記するしかありませんでした。
頭の中に暗記していれば、すぐにその知識を取り出すことができますから、
つまりは暗記力=頭の良い人という形式が成り立っていたと思います。

しかし、スマホの出現によりその形式は崩れたと感じます。
例えば、地理で、ブルガリアの首都、人口、経済規模は?という質問があった場合、
今ではスマホがあれば、どんなに知識のない人でも、一瞬にしてそれを知ることができます。

つまりは首都ソフィア、人口700万人、青森県とほぼ同じ経済規模というデータを
頭の中にわざわざインプットしておく必要はなく、
ブルガリアと検索するだけで即座に正しいデータを引き出すことができるのです。

今の中学や高校でどのような授業しているか分かりませんが、
例えば、地理で、そのような知識を問う問題はほとんど無意味と言ってよいと思います。
なぜなら、それは今や誰もが瞬時に引き出せるデータに過ぎないからです。


そういう意味では、スマホ全盛の今日、
暗記力よりも検索力というものが重要視される世の中になったといえるでしょう。

歴史でも同じことが言えます。
ナポレオンが皇帝に即位したのはいつ?
などという問題はほとんどナンセンスになったと言ってよい。
それは、ナポレオン皇帝即位と検索すれば、
即座に出てくるデータにしか過ぎないからです。

あと私大入試にありがちな難解な問題。
自分が受験した際に出題されたもの。
プロイセンのフリードリヒ大王と対立したオーストリアマリア・テレジアのもとで
宰相だった人物の名前は」という問題。

答えは「カウニッツ」なのですが、



こんな一生に一度も出会わないような知識を頭に入れておく暗記などは、
全く無意味と言ってよいでしょう。
何らかの理由でたまたまカウニッツの名前が頭の中に引っかかっていた人などよりも、
フリードリヒ大王とマリア・テレジアが対立していた構図において、
マリア・テレジアは女帝なので、実務において、実際に動いていた、
彼女を補佐した有能な男性の部下があったに違いないと想像することができる人の方が、
よっぽど歴史的感性に優れているといえます。

つまりは、そういったちょっとした想像力の上に検索力があれば、
カウニッツという名前をわざわざ暗記していなくても、
たちどころにそこに到達することができるのです。

そういう意味では、この入試問題は、
とにもかくにもカウニッツの名前さえ暗記していれば
正解に到達することができてしまう悪問であると言えるでしょう。


また国語において難しい漢字を書くというのは、今ではほとんど無意味ではないかと思います。
なぜなら、スマホでほとんどの漢字は変換できますから、
わざわざ難しい漢字が手書きできる必要がない。
それに実社会ではほとんどがパソコンで、手書きで文章を作るということは滅多にありません。

憂鬱、躊躇、煩悩、薔薇、葡萄、藁、蜘蛛などなど
難解漢字を書くことができるのは結構なことですが、
それを覚える時間で、もっと他のことをした方が良いのではないかと、個人的には思います。

しかし、漢字の読みができないと、スマホ入力の際困りますので、
漢字の読みというのは以前よりも非常に重要になったいえます。

あと数学の計算を暗算でやるというのも同じことが言えるかもしれませんが、
文系人間の自分はそこまで言える資格がありませんので、
まあやめておきます(笑)

しかしながら、革新的ともいえる新たな文明の利器が、
これほどまでに広まっているにも関わらず、
自分が子供の頃と同じ旧態依然の教育がなされているとするならば、
それはある意味恐ろしいことです。

教育とは実生活に役立つものだけを教えるものではないという強弁に逃げてはいけません。
常に新しい教育とは何かということを考えながら、子供たちに接していく。
そうでなければ、ほとんど価値が無くなってしまったことに、
時間と頭を浪費する害悪の場に学校は成り果ててしまうことでしょう。


今回スマホが故障して、ちょっぴり感じたことを書いてみました。








スマホの初期設定に手間取って相手にしてもらえず、
テーブルの下でふてくされて暴れるランス(笑)