らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「眠い町」小川未明






これは一種の予言小説です。

ケーという少年が、旅の途中に眠りの町と呼ばれる町にやってきます。

その町とは、
「音ひとつ聞こえるではなく、寂然しんとして昼間も夜のようでありました。
またけむりひとつ上がっているではなく、なにひとつ見るようなものはありません。
どの家々も戸を閉めきっています。

まるで町全体が、ちょうど死んだもののように静かでありました。」

活気が無い、一見、非常に不気味な雰囲気のする町です。

そこで、少年は不意に疲れを覚え、うとうと眠ってしまいますが、
目覚めると、目の前に不思議な老人が立っていました。

老人は言います。
「いまの人間はすこしの休息もなく、疲れということを感じなかったら、
またたくまにこの地球の上は砂漠となってしまうのだ。
私は疲労の砂漠から、袋にその疲労の砂を持ってきた。
この砂をすこしばかり、どんなものの上にでも振りかけたなら、
そのものは、すぐに腐れ、錆び、もしくは疲れてしまう。
おまえにこの袋の中の砂を分けてやるから、
これからこの世界を歩くところは、
どこにでもすこしずつ、この砂をまいていってくれい。」

老人は24時間休みなく稼働する社会に警鐘を鳴らし、
疲労の砂をまくことで人々を眠らせ、
それを阻止する役割を少年に託したのです。

このように「眠い」という言葉をテクニカルタームに、
近未来の世界を眠らない町と表現している事は、実に的確で鋭く恐ろしいことです。

ここ数十年来の社会を見るに、
「24時間戦えますか」と眠らないことをトレンドとする風潮や、
24時間営業のコンビニやレストラン、
24時間稼働する工場や高速道路による運送など、
眠らない町という存在はまさに的中してるといえます。

そして、眠らないことによって起こる社会ひいては人間の砂漠化。

砂漠化とは不毛とか実りがないということを連想させる言葉ですが、
現代の過労死の問題などというのは、
眠らない町の疲れ果てた人間の姿がそこにあります。
また、逆に、眠らない社会が、どれだけ人類に実りをもたらしたといえるでしょうか。
便利、いわゆるコンビニエンスな世の中というのは、
命を削ってでも達成しなければならない不可欠なものなのでしょうか。



この物語、いつ書かれたものかといいますと、
なんと1914年の大正時代、今から100年前以上前に創作されたものなのです。
作者の未来を見通す慧眼に驚くばかりです。

物語の最後、旅を続けた少年は手持ちの砂が無くなり、
老人に再び会うため、眠い町に戻ってきます。

そこで衝撃のラスト。
「そこには大きな建物が並んで、けむりが空にみなぎっているばかりでなく、
鉄工場からは響きが起こってきて、電線はくもの巣のように張られ、
電車は市中を縦横に走っていました。」

眠らない人間達が作った町が眠い町を覆い尽くし、そびえ立っていたのです。
ひたすらに眠らない世界を構築し、突き進んでいく人類の行く末。


いつもはきれいに見える都市の夜景や人工衛星からの地球の画像が、
この物語を読んだ後ですと、

ぎらぎらした不気味で恐ろしいものに見えてくるから不思議です。
それだけに的を得た説得力のあるストーリーということがいえるのかもしれません。


















「眠い町」小川未明
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