らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【テレビ番組】映像の世紀 第一次大戦 大量殺戮の完成








8月といいますと、やはり日本人としては戦争というものに、
何かしら感じざるを得ない季節となります。

20世紀が過ぎ去って早16年が過ぎました。
20世紀とは一体どんな100年だったのか。もう振り返って総括ができるはずです。

自分的に一言で言えば、20世紀とは戦争と平和への模索の時代。
有史以来無数の戦争が起こってきましたが、
20世紀に入って人類は全世界を巻き込む戦争を二度体験しました。
第一次世界大戦第二次世界大戦

どちらがマシだったというようなものではありません。
どちらも陰惨な戦争で、あえて区分するとするなら、
第一次世界大戦は人間に対する殺戮の戦争、
第二次世界大戦は人類に対する殺戮の戦争。
というところでしょうか。

これらの戦争が実際どのようなものであったのかは、
幸いにもたくさんの映像と証言が残されています。
机の上で想像して書いたどんな名文も、
その悲劇を目の当たりにした市民や兵士たちのつぶやきに勝るものではありません。

今月は「映像の世紀」という番組において放映された映像と証言を紹介したいと思います。

今回は第一次世界大戦について。





欧州で始まった50年ぶりの戦争となった第一次大戦
兵士の募集に応じ、戦地に赴く若者たちの顔は、どこかお祭りにでも出かけるような、
リラックスムードすら感じられます。


「あのころ、人々はまだ疑うことを知らなかった。
ロマンに溢れた遠足、荒々しい男らしい冒険・・・。
戦争は三週間――出征すれば息もつかぬうちに、すぐ終わる。
大した犠牲を出すこともない・・・。
私たちはこんなふうに、1914年の戦争を単純に思い描いていた。
クリスマスまでには家に帰ってくる。
新しい兵士たちは、笑いながら母親に叫んだ。」

従軍したオーストリア人作家ツバイク


しかし、次々に繰り出される新兵器により、様相は一変します。


「敵の兵隊が悠然と歩いてくるのには仰天した。
将校の中には、ステッキを手にしている人もいる。
私たちは銃撃を開始した。あとはどんどん弾を詰め込むだけだった。
連中は100人単位で倒れていく。
狙う必要などない。彼らに向けて、引き金を引けばそれで済んだ。」                         機関

銃射撃手の手記より







「泥、泥、泥・・・・・・
僕は毎日、泥の塹壕の中に居ます。
塹壕は、思っていたのとはまったく違う所です。
最悪の敵は、雨です。何日も何週間も、濡れた粘土の上にうずくまり、
敵の砲弾の中で暮らすのは、どんなものか想像もつかないでしょう。
厚いブーツを履いていますが、冷たい泥で、足は氷の塊のようです。
何本かの指は動かなくなりました。」

イギリス兵士の手紙より







「もう何も考えなかった。塹壕から飛び出し、走り、叫び、撃った。
自分が何処に居て、誰なのかも考えなかった。
僕は鉄条網を越え、塹壕を越え、まだ火薬の臭いのする砲弾の跡に沿って走っていた。
仲間の兵士たちが倒れている。悪夢の霧に包まれているようだ。
僕の任務は、あと何分かで終わる。
向こうに赤いものが見える。燃える炎だ。
足元にも赤いものが見える。人間の血だ。」

フランス兵士の手記より






「僕たちの塹壕の前に、つい最近まで、指輪をはめた手が一本横たわっていました。
しまいにその手は、骨だけになりました。
ネズミには、人間の肉がとても口に合うのです。
身の毛がよだちます。
が、僕も時とともに慣れ、戦友と同じように冷淡になりました。
戦場では、ありふれた悲劇にいちいち心を動かしていては、気がおかしくなります。
そうでなければ、腕を振りまわしながら敵に向かっていくほかありません。」

ドイツ兵士の手記より







「鉄板の鎧に身を固め、長い列を作って転がってくる機械。
その毛虫のような姿。
人間を押しつぶし、傷つくことのない鋼鉄のけだもの。
僕らはこの戦車を見ると、自分の薄い皮膚の中に小さく縮こまるような気持ちになった。
その驚くべき重さの前には、僕らの腕は藁のようにか弱いものだ。
榴弾は、マッチぐらいだ。
この戦車と言うヤツは、何よりも戦争の恐ろしさそのものに見えた。」

従軍したドイツ人作家レマルク






「私は、毒物を戦争に使用することが禁止されているのを知っていました。
しかし、いっしょに毒ガス開発をしたハーバー博士は
フランス側も、毒ガス弾を持っているようだ。ガス戦争に備えているのは
わが国だけではない。毒ガスがあれば、何よりも戦争を早く終わらせることが出来る。
と言いました。」

ドイツ人化学者オットー・ハーンの自伝より        





4年にも及んだ第一次大戦の戦死者800万人、病死者200万人、
負傷者2000万人、捕虜・行方不明者800万人。死亡した一般市民600万。

工業化により効率化を志向し、豊かになることを目指していた世界が、
一転、戦争に目を向けた時、
より効率的に人を殺すシステムをいち早く完成してしまったことは、
まったく悲劇としか言いようがありません。
まるで工場でモノを作るように戦場で人が死んでゆく。

個人的には、最後の映像で、戦争で負傷し、手足や顔が欠けてしまった人が、
義足や義手、顔のマスクを買い求めるシーンが非常に心に残りました。


しかし、第一次世界大戦で地獄を味わったと思った人類は、
さらに陰惨な地獄を体験することになります。僅か20年後のことです。

それについては次の記事にて。



なお、「映像の世紀」は記録として、一度は見ていただきたいものです。

これは理解するとか、納得するとか、そういうことよりも、
戦争が起これば、こういう事が起きる。その事実を、
自分の中に入れて、心に刻みつけ、保管しておかなければならない。
そういうものだと感じます。


時間があれば、ぜひご覧になってみてください。
https://youtu.be/dm0wVmw1z-I




第一次大戦の激戦地ヴェルダンの戦死者の墓地