らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【絵画】ゴッホとゴーギャン展 2 人物画













「パイプと麦わら帽子の自画像」


ゴッホが生涯に描いた自画像は40点あまりに及ぶ。
その中でも、この作品をネットで見た時は、
フエルトペンで書いたような明るい飄々とした雰囲気を感じたが、
実際の絵は意外に重い。
明るい色合いではあるが、決して軽くない。

そこには、ひたすらに自分を厳しく見つめる画家がいる。
描きながら、何かを見出そうと、
無我夢中でキャンバスに食らいつき、絵の具をたたきつける
画家の情念みたいなものを感じる。








ゴッホはイマジネーションで作品を描ける人ではなかったらしい。
対象をじつと見据えて、そこから見出したものを抉りとって描く。

ゴッホの作品を見ると、何か思わず、ぐぐっと吸い寄せられるような、
時には、それは病的なほどに、対象をじつと見据える眼差しを感じる。









ゴーギャンが描いた自画像。
鉛色の顔色をした男は、じっと光の射す方を見つめている。
何を見つめているのか。
自分自身を見つめているのだ。

鏡に映った自分を描いているのだから、当たり前だというかもしれない。
しかし、それは、理性的に自分を見つめる眼差しだ。
ゴッホのように心ごとのめり込むというようなものではない。
一歩下がって、自身の全体を見渡そうとする、画家の理知的な眼差しを感じる。



モネは「睡蓮」「積みわら」といった題材を飽きもせず繰り返し繰り返し描いた。
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/6764256.html

ゴッホも自画像を繰り返し繰り返し描いた。
よく飽きずに同じものを・・と思われるかもしれない。
しかし、同じ対象であっても、同じに見える作品はひとつとてない。
それぞれにそれぞれの個性や魅力が、そこには表れる。
その時の心象によって、その風景は変わるものだから、
ひとつの作品の形は、自己の無数の中の心象風景の一つにしか過ぎない。
だから、同じ対象でも、無限にバリエーションがある。

ただ、ゴッホの自画像で共通して感ずるのは、重々しいまでの自己を見つめる厳しさ。



しかし、同じ人物像でも、
ゴッホが、自分以外の人物を描く作品はその印象が一変する。





「ジョゼフ・ルーランの肖像」

ゴッホがアルルで非常に世話になった郵便配達夫ルーランの肖像。
ルーランの背景に花が描かれているのは、子供の絵のようで無邪気でかわいい。






「カミール・ルーランの肖像」

ルーランの子供カミールの絵にも、その可愛らしさ、あどけなさがにじみ出ている。

ゴッホという人は、いい意味で、単純で素朴な人だったんだと思う。
その人に対する率直な親愛の情が、作品に直に表れている。
自画像などに見られる、厳しいまでの重々しさというものはほとんど感じられない。
見ていて素直な楽しい気持ちになれる作品の数々。
その中には、自画像にはみられない、軽やかで、無邪気で、朗らかな明るさがある。