らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「猫の事務所」宮沢賢治





今年は宮沢賢治生誕120年ということで、いくつか作品を取り上げるつもりでしたが、
結果ほとんど書くことができなかったので、
その罪滅ぼしにひとつ取り上げたいと思います。

今回の作品は「猫の事務所」。
そのテーマはずばり「いじめ」です。

猫の歴史や地理を調べる事務所には、黒猫の事務長の他に4匹の書記がおり、
その書記の末席に竃猫(かまねこ)がおりました。
竃猫というのは、生れつきではありませんで、
夜、竃(かまど)の中に入って眠る癖があるために、
いつでもからだが煤で汚く、ことに鼻と耳には真っ黒に炭が付いて、
何だか狸のような猫のことをいいます。

その汚さゆえ、竃猫は、他の猫には嫌われます。

なぜそんな竃の中で寝るかといいますと、
真夏に生まれたゆえ、皮膚が薄く、
非常に寒がりであるためであり、
それは生来の理由といわざるを得ません。

しかし、竃猫は気転が利いて、むしろ仕事はできる猫です。

しかし、同僚の書記の猫たちは、竃猫のやることなすこと全てが気に入らない。

頼みの綱は仕事ぶりを認めてくれる黒猫の事務長だけでしたが、
ある日、竃猫は煤で体を汚さないよう竃の外で寝たため、
風邪を引いて、事務所を休んでしまいます。

その竃猫の居ない間に、欠席裁判のように、あることないこと言い含められ、
とうとう頼みの綱の事務長さえも、竃猫に事実を確認することもなく、
他のイジメの猫達の言葉を鵜呑みにしてしまいます。

次の日、風邪を引きずりながら事務所に出てきた竃猫を待っていたのは、
事務所全体でのイジメでした。

窯猫から台帳を取り上げ、仕事をさせず無視を決め込みます。

愛の反対語は憎しみではなく、無関心とも言います。
憎しみゆえの嫌がらせも相当キツいですが、
その存在を無きものとされる無視もそれと同等以上につらいものです。
道端の石ころのごとく、その存在を否定されるのは、
人間の(この物語では猫ですが)の根幹にかかわるものであるからです。

朝から何もないところにポツンと座って、
お昼のお弁当も食べないでうつむいていた竃猫は、
午後になって、とうとう、しくしく泣き出してしまいます。
それに対しても総掛かりで無視を決め込む他の猫たち。

しかし、その時、天の声ともいうべき、
いかめしい金色の獅子が現れ、事務所の閉鎖を宣言します。

宮沢賢治は、金色の獅子の下した、事務所閉鎖という結論に、
半分賛成ですと書いています。
全部賛成ではないのは、同じところに集った者同士、 
どうして仲良くすることができないのだろうかという賢治の嘆きが聞こえてくるようです。
しかし、半分賛成というのは、
その場を解体しなければどうしようもないという諦めといいますか、
仕方のない業(ごう)のようなものを感じさせます。

それだけイジメの問題は根深いともいえるでしょう。

イジメはなぜ起こるのか。
色々なことが言われますが、
軍隊や学校といった、密閉された閉鎖空間で、それは起こるといわれています。

その閉塞感を、他者をいたぶり、その空間を広げる(ように感じる)ことで、
自分の良い居心地を確保する。
それはいわば、本能的なものといえるかもしれません。
理性が必ずしも構築し切っていない子供たちの間で、
イジメが頻繁に起こるのは、そういうことかもしれません。

それだけに学校などのイジメにおいては、
理性的存在であるべき教師の、生徒たちへのコントロールが重要であり、
さらには社会全体の、いじめを拒絶するコンセンサスが絶対に不可欠です。
理性の光で、愚鈍で幼稚な者どもに、それを知らしめてやらねばならない。
この物語でいえば、黒猫の事務長の責任は重大であったといえるでしょう。


猫のかわいらしさが、かろうじて、このストーリーの陰湿さを救っている感があります。